力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画 (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

現在の田中敬子さん photo by Matsuoka Kenji現在の田中敬子さん photo by Matsuoka Kenji 猪木の運命を決めた言葉を遺した夜、力道山は赤坂のクラブで刺されて一週間後に亡くなった。猪木の大相撲入門は、師匠の急逝で幻に終わったのだ。

 力道山が39歳で急逝してから57年が経つ。北朝鮮から日本に渡って大相撲に入門。突然の引退から、プロレスラーとして戦後の日本をひた走った。敬子さんには、常に「大切なことは諦めないこと。ネバーギブアップの精神だ」と話していたという。

 敬子さんは敗戦直後で先が見えない当時と、なかなかコロナ禍収束の目処が立たない現在の状況を重ね、「今、主人がいれば......」と、力道山が生きていたら発していただろう言葉を想像した。

「やはり『ネバーギブアップだぞ。最後まで諦めるな』と日本中に呼びかけていたと思います。『誠心誠意、努力する気持ちを忘れるな』と。常に主人は明日がどうなるかわからない生活を送って、大変なことが起きても『こんなのに負けてられるか』と努力を続けていましたから」

 声を震わせて亡き主人への思いを馳せたあと、敬子さんは最後に笑った。

「私は今の状況が早く収束するように祈るしかないんでけど、主人が生き返って現れたら、空手チョップでコロナをやっつけてほしいですね」

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