柔道界の歴史を作った田村亮子の名言。「やっぱり私も人間だった」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第9回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 田村亮子(現在は谷亮子)は、2回目の五輪となった96年アトランタ大会で旗手を務めた。92年バルセロナ五輪の2位以降に世界選手権を連覇した田村は、この大会で金メダル獲得を日本中から期待されていた。だが、決勝は信じられない結果になった。これまで国際大会に出場したことがなく、ノーマークだったケー・スンヒ(北朝鮮)を相手に、攻めあぐむ姿を見せたのだ。

シドニー五輪の決勝を、一本勝ちで制した田村(谷)亮子シドニー五輪の決勝を、一本勝ちで制した田村(谷)亮子 準決勝は、一瞬のチャンスをつかんでサボン(キューバ)を背負い投げで仕留めた。しかし、決勝ではそれまでの軽やかさが影を潜めて劣勢のまま時間が過ぎていく──。そして残り23秒で"効果"を奪われて敗戦。2大会連続の銀にとどまったのだ。その瞬間、観客席に陣取った日本人応援団は静まり返った。

「これまでにないスピードで過ぎていった4年間でした。でも、それだけやって銀メダルですから、まだまだ何かが足りないのだと思います。勝負の難しさを知りました。今、いちばん思っているのは『期待して観てくれていた人たちに悪いな』って。日本に帰ったらなんて言おうかと......」

 負け知らずで突き進んできたなか、プレッシャーはより大きくなっていた。黙り込んで目を潤ませた田村は、自分を慰めるように「4年前から金メダルだと言われてきたけど......、やっぱり私も人間だったんですね。よかったですよね、人間で」という言葉も口にした。そして、自分の言葉に照れたように笑った。その力のない笑顔が強く印象に残った。

 それから4年後のシドニー五輪。田村は「この五輪で勝つことを最大の目標に、4年間柔道に時間を費やしてきた。吉村和郎ヘッドコーチからも『内容じゃないし、一本勝ちにこだわる必要はない。今回は勝つことを目標にやってきたんだから』と言われていました」と話し、勝つ柔道に徹する姿勢を見せた。

 開会式翌日の9月16日、この日の田村は異常なまでの厳しい表情で畳に上がり続けた。

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