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連勝記録がストップしても神対応。
吉田沙保里はいつも誠実だった (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 吉田は最大の武器であるタックルを父と一緒になって修正した。相手との間合い、足の位置、上体の傾け方、構える両手の高さ、入るタイミング、重心移動、両手の引き付け方、倒す方向......。まるで精密時計を分解・掃除するように、ひとつひとつ、数センチ単位で。その結果、吉田は北京で見事にオリンピック2連覇を達成した。

 吉田は再び連勝記録を積み重ねていった。だが、2012年、今度はロンドンオリンピックを2カ月後に控えた5月、またしてもワールドカップで敗戦を喫する。相手はロシアのワレリア・ジョロボワ。無名とも言える選手に、同じく屈辱のタックル返しでの黒星だった。

 私は大会直後に吉田に取材できる約束を事前に交わしていた。だが、連勝ストップのショックで取材は無理だろうと思い、当時の栄和人監督に延期の相談をした。すると、吉田から直接電話が入った。

「ご心配おかけしてすみません。大丈夫です。約束は守りますから」

 取材は無事に行なわれ、「自分は多くの人たちに支えられている。ここで足踏みしているわけにはいかない」と、強い口調で心境を語ってくれた。

 そんな吉田とのあれこれを思い出すなか、彼女の引退会見が都内のホテルで行なわれた。スポーツ界の宝の引退とあって、会場には200名を超すマスコミが開始2時間前から殺到した。吉田がこれまで積み上げてきた功績の大きさを物語っていると言えるだろう。

 4年に一度、オリンピックのときしか注目されないレスリングを、吉田はメジャー競技に引き上げた。2013年にレスリングがオリンピックから除外される危機に立たされたときも、世界選手権を目前にしながらIOC(国際オリンピック委員会で)でロビー活動を展開し、その奮闘のおかげでレスリングは存続された。さらに、東京オリンピック招致活動でも、吉田は欠かせぬキーパーソンだった。

 今後は日本代表チームや母校・至学館大でコーチを続け、「後輩たちを東京オリンピックで勝たせたい」と語る。吉田が"伝家の宝刀"超高速タックルで世界を制したように、絶対的な武器を持った選手を育ててくれることを期待したい。

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