2018.10.14

人生と引退、ここまで七転び八起き。
大仁田厚はプロレス魂を持ち続ける

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Nikkansports/AFLO

大仁田厚の邪道なレスラー人生(5)】

(前回の記事はコチラ>>)

 長州力選手との電流爆破デスマッチという目標を終え、2001年7月の参議院選への出馬を決断しました。結果は当選し、一期6年を参院議員として務めました。「プロレスラーに何ができる」って言われましたし、確かにそうかもしれません。政界に入ってもオレにできるのはやっぱりプロレス。2002年9月27日にアフガニスタンの首都カブールを訪問してプロレスを開催しました。

昨年10月の7度目の引退試合で藤田和之と対戦した大仁田 当時は、前年に9・11米国同時多発テロが起きて、アフガニスタンが混迷の度合を深めている時期でした。「何とか現地の子供たちを元気づけたい」という一心でしたね。「売名行為」とも言われましたけど、何をやっても批判を言う人はいるから、自分が今、できること、やりたいことをやろうと考えていました。

 現地では当時大使だった駒野欽一さんに協力していただいて、対戦相手に雷神矢口選手を連れてアフガニスタンへ行きました。リングはないから体操用のマットとポールで作って、レフェリーもいないですから、同行した東京スポーツの記者に頼みました。矢口選手と2人で試合ごとにコスチュームを変えて、3試合やりましたよ。

 子供たちはものすごく喜んでくれました。あらためてプロレスが持つ凄さ、パワーを感じましたね。東京ドームで6万人を集めるのもプロレスだし、リングがなくても見ている人を感動させることができるのもプロレスなんです。カルザイ大統領とも会談して、自分なりにアフガニスタンの窮状を日本の国民に伝えることに尽力できたと思っています。

 議員時代の2002年2月には、オレが旗揚げしたフロンティア・マーシャルアーツ・レスリング(FMW)が倒産するニュースもありました。前年の10月に、団体のエースだったハヤブサ選手が試合中の事故でリングに立てなくなって、観客動員が減って経営も苦しいことは聞いていました。

 いろんな経緯があってオレを追放した新生FMWでしたが、そんな苦しい状況を聞いて、荒井昌一社長に観客動員の”テコ入れ”として「ノーギャラで参戦」を打診したことがありました。でも、荒井社長は受け入れてくれなかったですね。やっぱり、どんなに苦しくても大仁田厚の力は借りたくないという意地があったんだと思います。