人生と引退、ここまで七転び八起き。大仁田厚はプロレス魂を持ち続ける (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Nikkansports/AFLO

 荒井社長は、FMWを旗揚げしたときに最初に募集した社員でした。リングアナウンサーを務めてくれて、旗揚げ戦でマイクが壊れたときには、とっさに機転を利かせて地声でコールしたことがありました。すべてにおいて一生懸命で誠実な男でした。

 その荒井社長は、倒産から3カ月後の5月に自ら命を絶ちました。亡くなる前にFMWが倒産に至った経緯をまとめた本を出版して、その中でオレのことも批判していましたね。

「倒産したのは大仁田のせいだ」と言う人もいましたが、実際、オレは倒産する4年前に追放されていたわけですから、それは筋違いなんじゃないかと思います。荒井社長はもっと「大仁田」という名前を利用してもよかったんじゃないかという思いが頭をよぎることもあります。ただ、自ら命を絶ってほしくはなかった。今はそれだけを強く思います。

 オレは議員生活を終えて、引退と復帰を繰り返したことで批判を浴びました。師匠のジャイアント馬場さんからは「ひとつのことだけをやれ」と教えられましたが、自分の中では"プロレス"という一本の芯は守ってきたつもりです。その一方で、自分としては、思ったままに生きていきたいという思いがあります。

 昨年の10月31日、後楽園ホールで7度目の引退試合をやったときも、本気で辞めるつもりでした。60歳を迎えて、さすがに電流爆破を続けるには体力が持たなくなったことを痛感しました。肉体的に限界を感じて、本当に引退を決意したんです。

 もうプロレスをすることは絶対にないと思い、7度目の引退試合には、デビューした原点である後楽園ホールを選びました。引退セレモニーでは、おふくろ(松原巾江さん)が初めてリングに上がってくれた。本当にバカ息子で、おふくろには迷惑をかけっぱなしで、リング上でも「出来の悪い息子ですみません」って頭を下げました。おふくろは、オレがプロレスをやってる間は大好きな日本茶を飲まないで応援し続けてくれました。すべてがありがたくてね。涙が込み上げてきましたよ。

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