2018.09.30

長州力を引っ張り出す。新日本参戦の
大仁田厚を後押しした裏方たち

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Sankei Visual

大仁田厚の邪道なレスラー人生(4)】

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 昨年10月に7度目の引退試合を行なった大仁田厚が、9月28日に都内で会見を開き、7度目の現役復帰を発表。10月28日に開催されるプロレスリングA-TEAMの神奈川・鶴見青果市場大会において、ギャラをもらわない「ボランティアレスラー」としてリングに上がることを明言した。

 60歳となった今でも「邪道」を突き進む大仁田が、20年前にかつての敵である新日本プロレスに参戦し、長州力との一戦を迎えるまでの経緯を振り返る。

実現するまでに約2年の月日を擁した長州力との対戦 フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング(FMW)を去った1998年秋、オレは新日本プロレスに参戦することになった。実は、この年の夏ぐらいからFMWがオレを排除しようとしている動きを感じたから、次の戦う場所を探していたんです。

 リングに上がるならメジャーな新日本しかないと思っていました。当時のマネージャーが新日本のマッチメイクを担当する永島勝司企画部長とパイプを持っていたから、コンタクトを取って、交渉を重ねてOKをもらったんです。

 最初に上がったのは1998年の11月18日の京都大会のリングでした。ここでは「観客にアピールをしてほしい」とだけ言われていたんですが、新日本に上がるなら、当時すでに引退していた長州力を引っ張り出すしかないと思っていたから、長州選手への挑戦状を持ってリングに上がったんです。これは、オレ自身のアドリブだったから、永島さんも長州選手も戸惑ったと思いますよ。

 後から聞いた話だけど、オレを上げるか上げないかで新日本の営業部が会議を開いたときに、オーナーだったアントニオ猪木さんが「大仁田を上げるなんてとんでもない」って猛反対したらしいんですよ。でも、新日本は年明けの1月4日に開催される東京ドーム大会の参戦をOKした。オーナーの意向にそむいてまでも、オレを上げることを認めたということは、新日本も東京ドームを満員にするために常に”看板”が必要だったんでしょうね。

 その東京ドーム大会では佐々木健介と戦いました。たったひとりで敵地に乗り込む形になりましたから、リング上で危険な目に合う”万が一”も想定して、右のリングシューズの中にナイフを隠し持ってリングに上がりましたよ。結果は反則負けだったけど、6万人の観客が一斉にブーイングしてね。あの声を聞いた時に、新日本でオレも認められたと思いました。レスラーにとっては無視されることが一番ダメなことだから、あれだけの反応があったのは心地良かったですよ。