【国際プロレス伝】全日と契約しても国際リングに上がったガニアの男気 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 社長は(カール・)ゴッチさんやロビンソンに頼んで僕たち若手を鍛えさせ、プロレスラーとして一人前に育ててくれましたが、ガニアもハルク・ホーガンやロード・ウォリアーズらをメジャーにする一方、自前のプロレスラー養成キャンプをつくってロビンソンがリック・フレアーやリッキー・スティムボートなどを指導し、後にNWAやWWFのチャンピオンへと成長させた。

 もともと、おふたりともアマチュアレスリング出身。レスリングの基本を大事にされていましたし、しっかりしたテクニックのある選手が好きでした。

 そして何と言っても、おふたりは巨大な勢力に挑んでいった。吉原社長は日本プロレスに始まり、ジャイアント馬場さんの全日本プロレス、アントニオ猪木さんの新日本プロレス。一方でガニアは、全米一の勢力を誇るNWAと。

 国際プロレスが1966年に旗揚げし、1981年に解散。AWAは1960年にガニアが設立し、崩壊したのが1991年ですから、倍ほどの歴史があったんですね」

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

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