【国際プロレス伝】右足を切断されながら、
相手に殴りかかっていった男
【第26回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
クセ者ぞろいの国際プロレスのなかでも、大剛鉄之助の個性はひと際異彩を放っていたという。アニマル浜口は「危険性を秘めた破天荒」と評し、大剛のすごさを説明するために、ひとりの人物の名を挙げた。
その名は、若木竹丸――。明治の終わりに生まれ、のちに「日本ボディビル界の父」と呼ばれた歴史的な偉人だ。はたして、大剛と若木はどういう関係なのか。
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国際プロレス時代のマンモス鈴木(左)と大剛鉄之助(右)「狂気をはらんだ破天荒」大剛鉄之助(2)
「1911年に東京で生まれた若木さんは、162cm・65kg前後。当時としても、どちらかと言えば小柄な身体でしたが、ダンベルカールで90kgを軽々と持ち上げ、レスラーブリッジで柔道選手を5人も乗せたそうです。
腕の太さは52cm。柔道、空手、ボクシングなどあらゆる格闘技で達人的な腕前を誇ってね。ロサンゼルスからやってきたプロレスのスカウトによるオーディションにも合格。もちろん、ボディビルでも数々の世界記録を打ち立てていますが、それらはまさに常軌を逸した鍛錬の賜物(たまもの)です。17歳から本格的にトレーニングを始め、キャリアの絶頂といわれた30歳、さらには35歳まで毎日12時間から15時間、欠かさず練習したというんです。
そんな若木さんと大剛さんのエピソードなんですが、これは大剛さんから直接教えてもらいました。ある日、大剛さんが若木家を訪ね、お膳を挟んで一杯やりながら話をしていると、若木さんが急にそのお膳の端を持って、ただならぬ様子で立てひざになった。
驚いた大剛さんが「先生、何をしているんですか?」と訊ねると、若木さんは「君の眼は尋常じゃない。いつ君が攻めてくるかわからないから」と言われたというんです。
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