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【国際プロレス伝】猪木をヒョイと
持ち上げたアンドレに、観客ぼう然 (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

 そうしたなかでも、1974年6月、そして1979年7月と、アンドレは国際プロレスに特別参加している。

「ロシモフは国際プロレスが好きだったんでしょうね。(マイティ)井上さんとも本当に仲がよかったですし。井上さんが心配してロシモフに言ったそうですよ。『国際プロレスの試合に出て、WWFとの契約は大丈夫なのか? 昔と違ってギャラも高くなっただろうが、うちはそんなに払えないぞ』とね。

 すると、ロシモフは『金はいくらでもいいんだ』と答えたそうです。ロシモフは男気のある、本当にいいヤツですよね。

 僕が一番、心に残っているロシモフの試合は、新日本プロレスに移ってからですけど、1981年9月23日に東京・田園コロシアムで行なわれたスタン・ハンセンとの一戦。国際プロレスが崩壊し、僕とラッシャー木村さんが新日本プロレスに殴り込みをかけた、木村さんのあの『こんばんは事件』があったときです。

 僕たちはメインイベント前にマットに上がり、敵の大将・アントニオ猪木さんに挑戦を表明したわけですが、その前の試合がロシモフとハンセンのスーパーヘビー級の激突でした。

 前にも話しましたが、空前絶後のド迫力マッチ。会場は異常な熱気に包まれました。僕たちは圧倒されて、言葉もないままマットを見つめていましたが......ふと我に返ると、気づいたんです。世界中のプロレスラーのトップに立つロシモフとハンセンが戦うなんて、アメリカでもそうそうない。それをマッチメイクする新日本プロレスの、そのすごさを。

 でも、『ここでひるんでいるわけにはいかない。俺たちはこの巨大な戦艦にたった3人(ラッシャー木村、寺西勇、アニマル浜口)で立ち向かい、国際プロレス魂を見せるんだ。敵の大将の首を取ってやるんだ』と、心のなかで叫びました」

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