【国際プロレス伝】右足を切断されながら、相手に殴りかかっていった男 (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

 恐ろしい人でしたけど、僕は男として好きでしたね。魅力的でした。どんなときでも『ナメられたらいかん。何かあったときは、やらなきゃダメだ』という人。心底プロレスが好きで、練習が好きで、足がなくなっても強さを求めていましたからね。

 女子レスリングの最重量級で戦ってきた京子には、ノード・ハーゲン選手やオヘネワ・アクフォ選手などカナダにすばらしいライバルがいましてね。彼女たちは新潟・十日町の櫻花(おうか)レスリング道場などで行なわれる日本代表合宿によく参加していましたが、京子や僕がカナダへ行くことがなかったのが残念でなりません。よくお電話やお手紙はいただいていましたが」

 2017年11月6日、大剛鉄之助死去のニュースが突如飛び込んできた。アメリカのメディアによると、大剛はカナダ・カルガリーで11月4日に亡くなったという。死因は不明。享年75歳だった。

「驚きました。身体を悪くされてから、周りの人への連絡は自ら断たれていたようで。

 僕は大剛さんに本当にお世話になりました。『ハマ、ハマ』とかわいがってもらってね。日本でも、カナダでも、いつも朝まで呑み明かして。ちょっとでも気を抜くと、すぐに掌底が顔に飛んでくるんですけど、『どうしたら強くなれるか』、そればかり話し合っていました。武勇伝も数々聞かされて。懐かしいですね。

 訃報に接し、思い出が走馬燈のように頭のなかを駆け巡りましたけど、やっぱり一番の思い出は、先ほど話した股座からの出血かな。あれが大剛さんの置き土産だった気がします。『いつ、いかなる場所でも、一瞬たりとも気を抜くな。一生、戦い続けろ、ハマ、この野郎!』という大剛さんのメッセージがこもっていた。また呑んで、スパーリングしたいですね。

『眼力(めぢから)世界一の男』。大剛先輩、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに眠ってください」

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

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