【国際プロレス伝】白パンツが似合う
寺西勇は、元力士のテクニシャン (3ページ目)
「タイトルマッチでもなく、ワールドシリーズでもなく、いつもの興行のセミファイナルでしたが、プロレス史に刻まれる一戦でしたね。井上さんの鮮やかなフライング・ヘッドシザーズが飛び出したかと思えば、寺西さんも迫力満点のコブラツイストを極めて。僕は観ていて、身震いしていました。これぞ、まさに『プロレスの教本』。どの団体のレスラーが観ても唸(うな)るでしょうし、どこに出しても恥ずかしくない激戦でした。
井上さんも寺西さんも、アニマル浜口の先生です。マイティ井上さんについては前にお話しさせていただきましたが、おふたりはまったく違うタイプでしたね。寺西勇さんからも実に多くのことを学ばせていただきました。間合いとか、プロレスの流れとか、寺西さんは天下一品でしたから。プロレスというのは手ほどきされるものではなく、リングサイドから観て盗むもの。さらに試合をして身体で覚える。そうやって寺西さんにはずいぶんと教えてもらいました」
寺西勇は大相撲・立浪(たつなみ)部屋の力士として、本名「寺西」の四股名で1963年5月場所にて初土俵を踏んだ。しかし、1966年の5月場所を最後に廃業し、東京プロレスへと入門。同年10月21日に行なわれた団体旗揚げ戦で、元大相撲力士であり、プロ野球「トンボユニオンズ」出身でもある異色レスラーの竹下岩夫(本名・竹下民夫)を相手にデビュー戦を飾った。そして団体崩壊後、国際プロレスに移籍を果たす。
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