【国際プロレス伝】世界王座を失い、マイティ井上が発した痛快なひと言

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • 原悦生●撮影 photo by Hara Essei

【第19回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

リング上でチャンピオンベルトを手にするマイティ井上リング上でチャンピオンベルトを手にするマイティ井上 欧州遠征から帰ってきたマイティ井上は、そこで培ったプロレス技術を存分に日本のマットで発揮した。瞬く間に国際プロレスの主軸となり、その人気はラッシャー木村、サンダー杉山、グレート草津らエース級と肩を並べるほどに。そして帰国から2年、井上はついに待望のタイトルを奪取する。

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マットの魔術師・マイティ井上(3)

 帰国後、「次代のエース」として期待されたマイティ井上は次第にメインを張るようになる。そしてついに1974年10月7日、埼玉・越谷市体育館でスーパースター・ビリー・グラハムを破り、IWA世界ヘビー級第9代王者の座につく。グレート草津やラッシャー木村ら国際プロレスの先輩格を差し置いて、25歳での超ビッグタイトル獲得はまさに快挙だった。

 マイティ井上の強さを、アニマル浜口は次のように説く。

「柔道をされていたから、受け身ができて、関節・絞め技がうまい。そのうえ、ボディビルで鍛えていたので力があり、身体も頑丈。バーベルベンチプレスでは、ラッシャー木村さんと一緒に200kgを持ち上げていましたからね。

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