【国際プロレス伝】アメリカ遠征で育まれたアニマル浜口のラブロマンス

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO, Sano Miki

【第15回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

「何でも言える間柄」となったグレート草津アニマル浜口は、リングで暴れまくり、外でも遊びまくった。その舞台は、アメリカ――。1971年6月、グレート草津が先に出発すると、後を追うようにアニマル浜口も1972年2月にアメリカへと旅立った。それから草津が同年6月、日本に帰国するまでの約4ヵ月間の出来事を振り返る。

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娘・京子の試合にはいつも夫婦そろって応援に駆けつけた娘・京子の試合にはいつも夫婦そろって応援に駆けつけた「国際プロレス四天王」のひとり・グレート草津(4)

「まずは、ネブラスカ州のオマハ。僕が行ってすぐに草津さんがバーン・ガニアと『ビッグショー』で対戦したんです。草津さんは向こうでもメインイベンターでした。僕はまだ試合がないから、私服のままセコンドについていたんですが、試合がヒートアップして乱闘になり、お客さんも暴れ出して......。気がついたら僕も革靴を脱ぎ捨てて、裸足でリングに上がっていましたよ。それから草津さんとタッグを組むようになりました」

 アメリカでアニマル浜口とグレート草津は、ホテルのスイートルームに長期滞在した。練習や試合だけでなく、文字どおり"寝食"をともにしていた。

「オマハのダウンタウンにあったローガン・ホテルとか、懐かしいですね。スイートルームに割り勘で泊まってました。サーキットであちこち行きましたけど、一番思い出があるのはやっぱりオマハかな。オマハはね、草津さんが先に行って"開拓"してくれていたから、最初から何ひとつ不自由しませんでした。

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