【男子バレー】小川智大はパリ五輪メンバー落選に「泣きました」 それでも現地に帯同した理由 (3ページ目)
反面、小川はリアリストにも映る。中学3年のJOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗で、将来のオリンピック選手を発掘する)で、スパイカーからリベロに転向。周囲の「レシーブがうまい」という評判もあったが、それは自身の合理的な選択だった。
「"上でやるならリベロしかない"とわかっていました。ネットの高さが2ⅿ30㎝から2m43㎝になり、スパイクはガンガン打っていたんですけど通用しないなって。単純に、上でやるための決断でした。小学生でずっと練習していた分、レシーブはうまかったんで"リベロはできる"と。高校生では途中でセッターもかじったんですけど、能力値は低いと思っていました」
実に現実的な選択だった。その土台になっているのが、一心不乱に涙を流しながら身につけたレシーブだったというのは興味深い。リベロというポジションとの遭遇が、彼の道を開いた。それは運命に近かった。
そんな彼が論理を超え、すべてを解き放つような感情の爆発を感じた時、至高の境地に入るのではないか。
「大人になってから人前で泣くことはほとんどないですが、パリ五輪の代表に落選した時は泣きました。"人の想い"って面白くて......助けにもなるんですけど、叶わなかった時は、とてもきつい。
もしメンバーに入って出ていたら、それを目指すと決めてからの想いの積み重ねもあって強かったはずですけど......落ちたことを切り替えて、次のロス五輪でメンバーに入れたら、パリの想いも含めていろいろとつながるはずです」
小川は真っ直ぐな目で言った。
――違った種類の涙を流した時、小川選手は何かを勝ち取っているかもしれませんね。
「そう思っています」
彼の語尾はとても力強かった。
(後編:小川智大が思う世界に勝つために必要なこと 「真剣にやる楽しさ」を見つけて世界屈指のリベロに成長>>)
【プロフィール】
◆小川智大(おがわ・ともひろ)
1996年7月4日生まれ。神奈川県出身。175cm。リベロ。サントリーサンバーズ大阪所属。川崎橘高校から明治大学を経て、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。2020-21シーズンから3シーズン連続でVリーグのベストリベロ賞を獲得し、21-22シーズンの天皇杯、22-23シーズンはVリーグ制覇に貢献した。SVリーグ1年目はジェイテクトSTINGS愛知で活躍。リーグ終了後、サントリーサンバーズ大阪への入団が発表された。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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