パリオリンピック男子バレーボールを髙橋藍の勝負論で総括 なぜ「1点」届かなかったのか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【「現実的に勝利をイメージできるか」】

 日本はネーションズリーグで決勝に進出し、フランスと激闘を繰り広げた。1-3と惜しくも敗れたが、銀メダル獲得だった。髙橋は大事をとって欠場したが、裏を返せば、主力を欠いての快挙だ。

 日本はパリで金メダルを勝ち取るだけの準備ができたはずだった。だからこそマスコミは騒いだし、ファンも楽しみにした。パリは希望に満ちていた。

 しかし、パリ五輪の予選ラウンドでは硬さが目立った。ドイツにフルセットの末2-3と敗れ、アルゼンチンには3-1と勝ったものの接戦。アメリカ戦は1-3とセットを取ったことでベスト8進出を確定させた......。

「一番プレッシャーがかかったのが、予選ラウンドでした。そこで考えすぎて、いつもどおりのプレーが出せなくて。それが準々決勝に来た時、みんな吹っ切れました。"ここから上げていく"って切り替えられたんですが......」

 髙橋は言う。事実、準々決勝のイタリア戦は大会のベストゲームだった。プレーがイメージとかみ合った時、彼らは勇躍した。

「本当の意味で、勝つイメージができるか。(昨シーズン)イタリアでファイナルを経験した時もそうでしたが、(トップに立つのは)甘くないって思いました。決勝に行ってからも、勝つのはすごく難しい。そこでの経験の差は出ますね。たとえば(優勝した)ペルージャの(ウィルフレド・)レオン選手も、(シモーネ・)ジャネッリ選手も、決勝で勝つ経験を重ねてきた選手がいて、そこで現実的に勝利をイメージできるか」

 その話は芯を突いていた。

 王者の強さは、勝利を重ねることで纏うものだろう。必然の強さと言うべきか。王者になったことがなくても、王者になれるが、強者の厚みは出ない。"1点の際"のところでは、執念深さや不屈さが勝負を分かつ。

 日本男子バレーは石川佑希、髙橋、西田有志などが台頭目覚ましく、"強者の入り口"には立った。しかしイタリアは1996年のアトランタ五輪から7大会で銀メダル3つ、銅メダルふたつを獲得していた。一方、日本はその間、2008年の北京五輪と開催国枠で東京五輪に出場したのみ。強者の厚みは歴然としていた。

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