ロンドン五輪直前、竹下佳江にまさかの事態。メダル獲得へ激痛を仲間にも隠し続けた (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

 2011年のワールドカップでも、本来のランク付けなら3位でロンドン五輪の出場権を獲得できたはずだったが、この時は勝敗より勝ち点が優先されて4位。翌年の世界最終予選に臨むことになった。

 チームが力をつけていることもあって楽観的な選手もいたそうだが、竹下にはシドニー五輪の最終予選での苦い経験が頭にあり、「あの苦しみを、絶対に若い選手たちに経験させてはいけない」と気を引き締め続けた。

 実際に、世界ランキングでも実力的にも優位と思われていた韓国に負けるなど苦戦し、最終戦でようやく出場権を獲得。肉体的にも精神的にも疲労困憊だった竹下は、試合後の会見に出席することができなかった。

 その後、ロンドン五輪の予選グループの組み合わせが決まると、眞鍋監督が「準々決勝は中国だ、と夢で見た」とチーム全員に告げた。竹下をはじめ、選手たちは反応に困ったという。

「そりゃあ、『何を言っているんだろう、この人』みたいな感じになりますよね(笑)。でも、予選を勝ち上がって決勝トーナメントの抽選が行なわれて、準々決勝の相手が中国になったとわかった瞬間、みんな鳥肌ですよ。驚きもしましたけど、『絶対そこで勝つんだ』という暗示をかけられたような感じでしたね。それまで中国にはほぼ勝てていなかったんですが、チーム全員が勝利を信じるようになったんです。眞鍋さんは、そういったコントロールが上手な監督でした」

 チームの士気が上がる中、竹下はチームメイトにあることを隠し続けながら戦っていた。

 オリンピック本番の1週間ほど前、男性スタッフの時速100キロを超えるスパイクをレシーブする練習の最中、ワンバウンドして跳ね返ったボールが竹下の左手を直撃。その瞬間、全身がピリッと痛みが走った。セッターの命である指を骨折してしまったのだ。

 それ以前にも骨折の経験があった竹下は「やってしまった」と思った。周囲には何も言わずにそっと練習を抜けたが、眞鍋が異変に気づく。竹下を追いかけて病院に行くように何度も説得し、竹下はそれに根負けしたが、「何があっても私はオリンピックに出ますからね!」と宣言した。

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