大友愛がシングルマザー時に悩んだバレーと子育てのバランス「これが正解!はない」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――復帰はスムーズにいったんですか?

「復帰3日目ぐらいで後悔しました(笑)。体力が落ちていましたし、筋肉痛を超えた"骨痛"と言ってもいいくらい全身が痛くて、スパイクを打つたびに『くるぶしが取れるんじゃないか?』と思っていました。ただ、やると決めた限りはとことんやろうと、体をしっかり鍛え直しました」

――お子さんはまだ小さかったと思いますが、どのように練習していたんですか?

「チーム練習の前後でコーチにボール出しをお願いしたり、帰宅して家事をしたあと、夜に子供が寝てからや起きる前の早朝にランニングをしたりしました。とにかくリーグに間に合わせないと、チームのみんなに迷惑がかかってしまいますから。

 チームもベビーシッターをつけてくれたので、体育館にも連れていき、終わったら一緒に帰っていました。そんな状況でプレーできたのは、バレー界ではたぶん初めてだったんじゃないですかね。移動のバスや宿泊先でも一緒でしたから、チームメイトの中には戸惑う選手もいたでしょう。申し訳ないと思いつつも、とことん頑張るために『すみません』と言って続けさせてもらいました。

 海外のチームでは、出産後に復帰する選手も多いですが、日本はまだ環境が整っていない印象があります。同じく出産で一度競技から離れた(荒木)絵里香は、あらかじめ復帰することを決めていて、お腹に赤ちゃんがいる時や出産後もトレーニングを継続していました。それでも、あの期間(2013年10月に東レを退社し、翌年6月に上尾メディックスで復帰)で、トップレベルまで状態を戻したのは本当にすごいです」

――大友さんは2008年に久光で1シーズンプレーしたあと、JTマーヴェラスに移籍します。何か理由があったんでしょうか。

「リーグでプレーして感覚がちょっとずつ戻ってきた時に、テンさん(竹下佳江)ともう一度バレーをしたいなと思ったんです。個人的に、テンさんとのコンビネーションは最高だと感じていたので移籍を決めました。その時は、日本代表への復帰ということまでは考えていませんでしたね。自分の中で、テンさんはすごく大きな存在でしたから、『最後も一緒にプレーしたい』と。それでJTに移籍してからは、どんどん感覚が戻っていって『もっとできる』という気持ちになりました」

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