2021.03.07

大友愛がシングルマザー時に悩んだバレーと子育てのバランス「これが正解!はない」

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

『特集:女性とスポーツ』第7回
バレーボール大友愛 インタビュー(中編) 前編から読む>>

 2005-06シーズンの途中で周囲を驚かせる引退を発表た大友愛だったが、2008年に現役復帰。再び日本代表にも召集されるが、子育てをしながら、大ケガも乗り越えてパフォーマンスを取り戻すには多くの苦労があったという。

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2006年に一度引退し、母となった2008年に現役復帰した大友  photo by Sakamoto Kiyoshi――2006年に引退しましたが、2008年に復帰することになります。どんな経緯があったのでしょうか。

「もう絶対にバレーをしない、と思って引退したんですが、妊娠中に当時久光製薬スプリングスの監督だった眞鍋政義さん(2008年12月から2016年10月まで日本代表監督。現ヴィクトリーナ姫路のオーナー)と会う機会がありました。出産予定日は2006年の8月で、その翌年のリーグは年明け開幕だったんですけど、眞鍋さんに『リーグに戻れないか?』と言われたんです(笑)。当時は眞鍋さんと面識がなかったですし、『いきなり何を言ってるんだろう』というのが第一印象でした。

 一度はお断りしたんですが、出産後の子育て中も連絡があって。極めつけは、NECレッドロケッツのチームメイトだった仁木希(現・兵動希)さんが(2007年9月に)久光に移籍したあと、ご飯に誘われて行ったら眞鍋さんも来たんですよ(笑)。それで『カズ(仁木の愛称)もいるし、どうだ?』と。カズさんにも『私も現役を長くは続けられないし、ユウ(大"友の愛称)、もう一回頑張ろうよ』と説得されて、すごく悩んだんですが、(2008-09シーズンから)1、2年だけ頑張ってみようと決心しました」

――根負けしたんですね。

「私自身、リーグの中途で引退していろんな人に迷惑かけた後ろめたさもありました。代表監督だった柳本(晶一)さんにも、アテネ五輪後に『将来的に主将を任せるかもしれないから、覚悟を持って頑張ってくれ』と言われてリーグに戻ったのに......。年齢的にもチームを引っ張っていく立場になっていく時に引退したので、バレー界に戻ることには勇気がいりましたね。

 でも、眞鍋さんは『お前が必要だから声をかけているんだ。過去はどうでもいいし、結果を出せばみんなが認めてくれる。そのために手助けもする』と。私も『申し訳ない』と後ろ向きな気持ちのままいるより、『大友愛が戻ってきてよかった』と思ってもらえるぐらい頑張ってみようと思うようになったんです」