引退した新鍋理沙の少女時代。
バレー人生の始まりと親友との出会い (2ページ目)
小学6年時に初めて全国大会に出場(写真:新鍋本人からの提供) 日本代表、Vリーガー時代の新鍋といえば安定感抜群の守備が最大の武器だった。小学生時代はどうだったのか。
「当時はこのプレーが得意とかは全然なかったんですけど、『負けず嫌い』ではあったと思います。対戦相手はもちろん、チームメイトや誰に対しても。4年生くらいの時だったと思うんですが、ママさんバレーをやっているお母さんたちが相手になってくれて、ゲーム形式の練習をやったことがあって。ママさんたちのほうがうまいし強いのは当然なのに、その試合に負けたのが悔しすぎて、その日は泣き明かしましたね」
負けず嫌いな性格はプレー環境に変化をもたらした。小学校5年生で、両親が指導する少年団から、少し家から離れたチームに移ったのだ。ひと学年に4、5人くらいが所属する、あまり規模は大きくないチームだったが、実力は全国レベルの強豪だった。
チームを変えた理由は、新鍋自身は覚えていないらしいが、「急に『全国大会に行きたい』と両親に言ったらしいんです」。その言葉どおり、6年生の夏に全国大会に出場してベスト8まで勝ち進んだが、週末は合宿や練習試合などで埋まるなど、練習は段違いに厳しくなった。
「正直、練習が想像以上にハードでやめたくなったこともあります。それまでは合宿もなかったですし、指導も厳しくなったので『もう嫌だな』と。自分から言ったことだからやめられない、みたいな感じでした。それでも、両親に弱音を吐いたことはなかったと思います。大会で勝つことが増えたのは嬉しかったですし、それが原動力になっていました」
この時の新鍋は、まだ自分が全国的な選手になるとは考えていなかった。ただ、ここで基礎を叩き込まれたことが先につながったのだろう。
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