春高→全日本で国民的ヒロインに。だが益子直美は「試合が怖かった」 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――引退した後は、芸能界で活動すると決めていたのですか?

「いえ、やめた後のことは考えていませんでした。現役の時に、スキューバダイビングの資格は取っていたんですよ。オフのたびに沖縄に行って、真っ黒になっていました。『ひとりになれるから』という理由もあって取った資格だったんですが、『(引退後は)スキューバダイビングのインストラクターになるのもいいかな』と、ぼんやり考えていました。

現役最後の年に、監督にもそれを伝えたら『行ってこい!』と言われたんですが、いざ仕事としてやろうとしたら飽きてしまって(笑)。『これは自分にとって、リフレッシュするためのものだったんだな』と実感しました」

――そこから、結局はどういった道に進むのでしょうか。

「監督が『コーチとしてチームに1年残ってほしい』と言ってくださったので、アシスタントコーチをやらせてもらいました。この1年が、すごく貴重でしたね。相手チームのデータを集めたり、選手ひとりひとりの体調をチェックしたり、レギュラーではない選手をサポートしたり......。選手やスタッフが、どれだけ苦労をしているかを客観的に見ることができたんです。

 現役時代は、目の前の勝負のことしか考えられなかった。広い視野でチーム全体を見ることができていたら、もっとプレーに幅がある選手になれていたでしょうね。だけど、人間として成長するという点では遅くはない。その経験が、その後の人生に生かされたと思います」

(後編につづく)

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