石川真佑がルーキーの定石を覆す活躍。W杯では逆境での起用に応えた (2ページ目)

  • 高井みわ●取材・文 text by Takai Miwa
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

 バレーボールの3大大会(オリンピック、世界選手権、W杯)の中で、1977年大会から日本で開催され続けてきたW杯(2023年大会は公募で開催国を決定)は、若手選手がニューヒロインとして脚光を浴びることが多い。2003年大会の"メグカナ(栗原恵、大山加奈)"は大ブームを巻き起こし、2015年大会の古賀紗理那もチーム最年少ながら攻守にわたる活躍を見せた。メグカナも古賀も、当時はVリーガー1年目。石川と同じ19歳だった。

 ただ、シニアカテゴリーでデビューしたばかりの若手選手は格下相手の試合で起用され、先輩たちに助けてもらいながらプレーするのが定石だが、石川は逆だった。格下チーム相手にはあまり出番がなく、ロシアやアメリカなど強豪との試合や、劣勢の時に流れを変える役割を担って起用されるパターンが多かった。活躍が勝利に結びつかず、もどかしい思いもしただろうが、最後まで戦い抜いた。

 石川は2000年5月に3人兄弟の末っ子として生まれ、6歳年上の姉と、今や日本男子の絶対エースである5歳年上の兄・祐希の影響で、小学3年時からバレーを始めた。小学校を卒業後は親元を離れて長野の強豪・裾花中学に進学。1年時からスタメンで活躍した。

 そして、木村沙織ら多くの名選手を輩出してきた東京の名門・下北沢成徳高校でも1年生ながらレギュラーを掴み取り、2年先輩の黒後愛と共にコートに立った。3年時には主将として高校2冠(インターハイ、国体)を達成。2019年1月には東レ・アローズへの内定が発表され、3月にVリーグデビューを果たした。

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