女子バレーのスパルタ神話を覆す下北沢成徳の「自由な指導」誕生秘話 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari

「選手のレベルは向こうが上回っているのに、同じ指導法では永遠に追いつけない」と感じた小川監督は、大きな発想の転換を行なった。怒る回数をぐっと減らし、選手同士で課題を話し合う意識を徹底させることで、選手をモチベートする方向へ変えていったのだ。それまでのワンマン系の練習を一気に減らすことはなかったが、最良の指導法を模索しながら前進を続け、1991年にインターハイの出場権を勝ち取るまでになった。

 その3年後には春高への出場も果たし、ベスト4以上に進出することが増えたものの、なかなか頂点には届かない。他校との合同合宿で「小川先生は甘いから、お前たちは優勝できないんだ」と揶揄(やゆ)されることもあった。しかし、その言葉はかえって選手たちの気持ちに火をつけた。大山が主将として出場した2002年に念願の春高初制覇。インターハイ、国体と合わせて三冠を成し遂げた。

今でも春高の中継では、成徳の選手たちが互いを厳しく叱咤しあう映像がよく流れるが、小川監督は何も言わずに選手たちを見守る。その異様とも思える光景が、自由で強い成徳を作り上げたのだ。

(後編につづく)

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