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【男子バレー】男子ボールゲームで唯一の金メダルを獲った男、松平康隆の生涯 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 共同通信●写真

 東京五輪が終わった直後の10月に全日本男子監督に就任。8カ年計画で、ミュンヘン五輪で金メダルを取るということを目標にチーム作りを始めた。そして4年後のメキシコ五輪では銀メダル、8年後のミュンヘン五輪では、とうとう金メダルを獲得したのである。男子のボールゲームで金メダルを獲ったのは、公開競技時代の野球を除けば、このミュンヘン五輪のバレーボールが唯一のものだ。

 練習は厳しく、森田淳悟(ミュンヘン五輪金メダリスト。一人時間差攻撃を考案した)によると、「もう吐きそうです」と言っても、「吐いてもいいから、戻ってきてそのまま練習しろ」と言われたという。

 また、トレーナーに指示し、体操を取り入れたトレーニングを行なった。これは、ボールにひもをつけて回しその上をジャンプしたり、マットの上でジャンプしたり、トランポリンの上でジャンプしながらボールを受け取って投げたり、逆立ち歩きをしたりするという独特なものだった。「松平サーカス」とも揶揄されたが、松平はこのトレーニングが基礎体力の向上とボールさばきの向上に繋がると信じてやり抜かせた。

 メキシコ五輪の前に、大古誠司(ミュンヘン五輪で大砲として活躍。後に全日本男子監督としてバルセロナ五輪に出場)という選手が、川崎で草バレーをやっているチームから抜擢された。しかし大古は逆立ち歩きが苦手で、どうしてもできなかった。

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