大坂なおみと母との絆、テニスの原点。「いつだって私を笑わせてくれる」
"なおみ"の名は、「英語でもフランス語でも通用するし、とくに日本では完璧な日本の名前として、馴染みやすく呼びやすいから」との理由でつけたと、母の環(たまき)さんから聞いたことがある。
父親はフランス語を母語とするアメリカ人で、生誕地は大阪市。生まれながらにして色彩豊かなバックグラウンドを背負った我が子が、いずれの国からも親しまれるようにとの母の願いが、その名には込められていた。
大坂なおみは母との会話の内容を楽しそうに話すこの記事に関連する写真を見る かつて「大阪で生まれた人は、みんなオオサカさんになるのよ」のジョークで笑いを誘ったなおみだが、3歳でアメリカに移った彼女には、誕生地で過ごした記憶はほとんどない。
それでも母が撮影した写真には、大阪市の公営テニスコートで、ラケットを手に姉とたわむれるなおみの姿が多く写っているという。彼女のテニスの原点が、母の苗字と同じ名の町にあるのは間違いない。
なおみにとって、テニスにまつわる最も古い記憶はニューヨークでの出来事。一緒に練習していた子の顔にボールが当たり、「怖くてずっと顔の前にラケットを構えていた」という、いささかトラウマチックなものだった。
そして、テニスコートの記憶には、常に父親と姉のまりがいる。だがそこに、母がいることは稀だった。幼いなおみの記憶に強く焼きつく母は、早朝に起き、働きに出かける姿だ。
「母が、私たちのために払ってくれた犠牲のすべてを覚えている。母は、私の試合を見に来ることすらできなかった。朝4時に起きて、バスや電車に乗って働きに行っていたから」
だから、いつの日か恩返しがしたいの----。
テニスプレーヤーとしての成功を手にした今、彼女が何より望むのは、母の献身に報いることだ。
一方で母のほうも、"ファミリーテニス"の場で最も弱い立場に身を置いた、次女の心境をおもんばかった。
「なおみにとっては、タフな環境だったと思いますよ。自分が一番弱い状態が、毎日続いていたんですから。お姉ちゃんには勝てない。お父さんには怒られる。家に帰れば、ホームワークもしなくてはいけない。子どもなりに、厳しい生活だったと思います」
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