19歳の五郎丸歩「バカだった」ラグビー日本代表での大失敗 大先輩のレジェンドに「大畑!下がれ!」と呼び捨てで指示 (3ページ目)
【大学ラグビー界のスターもスキル不足】
早稲田大学1年時、2年時に続いて、バイスキャプテンを務めた最終学年の4年時でも全国大学選手権優勝を果たすことができた。涙しながら高らかに「荒ぶる」(大学日本一に輝いた時のみ歌うことが許される同部第二部歌)を歌い上げた五郎丸は、トップリーグのヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)に加入する。
社会人としてのルーキーイヤーは、どんなシーズンだったのか。
「日本代表で木曽一さんや山村亮さんと一緒にやったことが、『ヤマハ発動機に行きたいな』と思う動機のひとつになりました。まだ優勝したことのないチームで自分自身も高めていきたい、という思いでヤマハを選んで入ったのです。
ですが、大学4年間で出しきった感覚があり、ヤマハ発動機での1年目は気持ちと体のバランスが崩れていました。技術を高めるのが先なのに、気持ち先行で試合に出たことで相手を止めるために自然と足が出たり、イエローカードを出されたこともあったりして、相応のスキルが伴っていませんでした」
大学ラグビー界のスターでも、ハイレベルなトップリーグではスキル不足を感じざるを得なかった。ヤマハ発動機ジュビロは思うような結果を残せず、年々順位を落としていき、自身3シーズン目のトップリーグ2010-2011はついに入替戦にまわることになる。九州電力キューデンヴォルテクスに辛勝(12-10)して下部リーグへの降格は回避したが、まさに薄氷のトップリーグ残留となった。
「リーマンショックで一時は会社の経営が傾き(2009年)、当初はラグビー部が廃部になる方針でした。しかし、就任した新社長(2010年3月に社長に昇格した柳弘之氏)が一転して『ラグビー部を存続させる』と決断してくださった。それを受けて僕自身も、『可能性を持ったチームで初優勝したい』という加入当時の思いを胸に刻み、ヤマハ発動機でプレーを続けました。
入替戦まで行ったものの残留することができ、翌シーズンに(早稲田大1・2年時に薫陶を受けた)清宮克幸さんが指揮をとるところから、ヤマハ発動機の新たなストーリーが始まっていきます。2014年度に日本選手権で初優勝を成し遂げることができたのは、本当に大きな経験でした」
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