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ラグビー日本代表に19歳で呼ばれた「無名の逸材」小野晃征 ニュージーランドで育った「逆輸入ラガーマン」の軌跡 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【カーワンHCからのラブコール】

 当時の小野は体育教師を目指し、高校卒業後はカンタベリー大学に通っていた。そして大学卒業後は「機会があれば日本でプレーも......」と思っていたという。そんな矢先、日本代表HC(ヘッドコーチ)に就任したばかりのジョン・カーワンが19歳の青年の存在に目をつける。

 元オールブラックスのレジェンドWTBは、母国ニュージーランドで活躍している「無名の逸材」にさっそく電話をかけた。

「日本代表スコッドの合宿に参加してほしい」

 その言葉が人生のターニングポイントとなり、小野は「来日」を決めた。その突然の誘いがあったからこそ、「プレースタイルが合っている」と感じたサニックスに入団することにした。

 2007年4月の韓国戦、カーワンHCはさっそく小野を抜擢する。20歳になったばかりの小野は初キャップを獲得し、その5カ月後にはワールドカップメンバーにも選ばれた。そして初戦のオーストラリア戦に出場し、PG(ペナルティゴール)で得点も記録する。

 しかしワールドカップ後、カーワンHCに再び呼ばれることはなかった。その才能は認められていたものの、国際試合で代表チームを引っ張る経験値がまだ足らなかったからだ。

 小野はサニックスで技術を磨いた。SOやCTBとして強さを増し、ランニングラグビーの根幹を担っていく。その結果、2011年度のトップリーグではCTBとして初の「ベスト15」に選出されるまでに成長を遂げた。

 2011年ワールドカップには出場できなかった。しかし2012年、新たに就任したエディー・ジョーンズHCに声をかけられる。スキルが高く、判断力に長けて、ランのオプションもあり、タックルでも体を張れる──。高く評価したジョーンズHCは、小野をSOで重用し続ける。

 2012年11月、日本は敵地でルーマニアを34-23で下し、初めて欧州のテストマッチでヨーロッパのチームから金星を挙げる。さらに続くジョージア戦では、小野がロスタイムにDG(ドロップゴール)を決めて25-22で勝利。代表での小野の存在感は、日に日に増していった。

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