ラグビー明大の司令塔「田村優2世」伊藤耕太郎は、創部100周年の節目を優勝で飾ることができるか (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【ターニングポイントとなった國學院栃木への進学】

 この準決勝では、11月の練習中に負傷したキャプテンCTB廣瀬雄也(4年)も復帰した。3年間、廣瀬とコンビを組んできた伊藤は「2年生の時から、となりにいた選手。雄也がいると(ボールも)ワイドに振れますし、キャリーでも前に出てくれるので頼もしい」とうれしそうに語る。

 1月1日にラグビー日本代表の指揮官となったばかりのエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)も、この試合を見守っていた。春からリーグワンでプレーすることが決まり、日本代表入りを目指す伊藤は「試合が終われば少しは意識しますが、試合ではベストパフォーマンスを出すように心がけていました」と正直に心情を吐露した。

「紫紺の10番」を背負い続けている伊藤のラグビー人生は、両親に連れられて行った公園での出会いから始まったという。そこでラグビーの魅力に取り憑かれ、3歳で神奈川・藤沢ラグビースクールに入学。3歳下の弟・龍之介(明治大1年/SO)も兄に続いた。

 中学時代は北村瞬太郎(立命館大4年/SH)や武藤ゆらぎ(東海大4年/SO)たちと神奈川県スクール選抜に選出。全国ジュニア大会にも出場を果たした。

 そして中学2年時の2月、神奈川・保土ケ谷公園ラグビー場で開催された高校の関東新人大会をたまたま見に行った時、國學院栃木(栃木)が桐蔭学園(神奈川)を24-19で下して優勝した。その試合を目の当たりにしたことで、伊藤は親元を離れて國學院栃木に進学する。

 國學院栃木では1年時からFBとして試合に出場し、2年時からはSOとしてプレー。3年時は花園3回戦で強豪・東福岡に惜しくも12-17で負けたものの、10番としてチームの中軸として躍動し、高校の先輩になぞらえて「田村優2世」とも呼ばれた。

「高校に入学してから(田村優さんのことは)少し意識するようになりました。プレッシャーはけっこうありましたが、今はそんなに意識せずにプレーできています。田村さんのキックやゲームメーク、冷静さはすごく見習っています」

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