ラグビー福岡堅樹の引退に「よう決断したね」。ラストマッチへ恩師からのエール
日本ラグビーの宝、パナソニック ワイルドナイツの福岡堅樹が5月23日、日本選手権大会兼トップリーグプレーオフトーナメント決勝(秩父宮)のサントリー サンゴリアス戦に挑む。これで引退。高校時代のラグビー部監督で、日本ラグビー協会の森重隆会長は、「よう決断したね、というのが第一印象だった」としみじみと漏らした。
5月23日、現役ラストマッチに挑む福岡堅樹
「見よったら、選手としてピークやもん。でも、自分の夢を成し遂げようとするところがすごかよ。人生の節目。これからもがんばってもらいたいね」
新型コロナ禍ゆえの電話インタビュー。ラストゲームでは教え子に何トライを期待しますか?と水を向ければ、「ない、ない。そんなもん、何もなかよ」と返ってきた。言葉に愛情があふれる。
「とにかく、無事に終わりやい」
教え子の才能は文句なしだ。福岡県福岡市の福岡高校に入学したころから、スピードは群を抜いていた。「すごかったとよ」。新日鉄釜石V7にも貢献した元日本代表の名選手、森重隆会長はそう、思い出す。
九州大会の予選、福岡県下の強豪、東福岡高との試合、森監督はウイングの福岡をFWそばのスクラムハーフに置き換えた。
「相手ゴール前に行ったら、お前がスクラムハーフしろって。サイドをもぐって、トライしろと言ったんだ。そうしたら、したもんね。瞬発力があったとよ」
福岡のラグビー人生の転機は高校時代の大ケガだった。高校2年生の時、左足の前十字靭帯を断裂。さらにその後、右足のじん帯を損傷した。森重隆会長は当時を振り返る。「あのケガは、大きかったもんね。やっぱり、精神的にたくましくなったとよ」
福岡はいわば、負けん気の塊だった。高校3年の熊本・阿蘇合宿。合宿最後の日の全員での記念撮影。笑顔が広がる中、ひざの故障で練習をできなかった福岡はひとり、悔しくて泣いたそうだ。
負けん気ですか?と聞けば、森会長は得意のダジャレを飛ばした。
「そりゃそうたい。名前が、ま、ケンキやもん。マケンキたい。はっはっは」
福岡は、福岡高3年で花園(全国大会)に出場し、トライも挙げた。一浪して、筑波大学情報学群に進学。筑波大3年の2013年春、20歳で日本代表に抜擢されると、50m5秒台のスピードと強じんな足腰を生かして、トライをとりまくった。その年の欧州遠征のスコットランド戦では、鮮烈な2トライを挙げ、ラグビーファンに衝撃を与えた。
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