「フェラーリ」松島幸太朗が爆走。日本はグローカル力で勝利を掴んだ (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

 自国開催のW杯。確かに多くの選手は、家族や知人が応援に駆けつけ、重圧もあっただろう。でも、松島はちがった。

「前回大会の経験でしょうか、変な緊張もしないで、周りがちゃんと見えていました。僕は最初から、試合を楽しめていました」

 ただ、ラグビーにヒーローはいない。15人全員がヒーローと言ってもいい。松島はチームメイトに感謝した。

「トライはみんなでつないだものなので、ワンチームになることができたのかなと思います。目に見えない活躍をしている選手はいっぱいいますし、タックルでがんばった選手もいます。そういう選手がいるので、外にいる人間が生きるのです」

 ジョセフHCが率いる日本代表のスローガンは、『ワンチーム』である。海外遠征を繰り返し、何カ月も一緒に強化合宿でハードワーク(猛練習)に励んできた。チームは一緒に国歌斉唱の練習をするなど、グラウンド外での団体行動、コミュニケーション、意思統一も図ってきた。

 そういえば、秋のお彼岸入りのこの日、チーム宿舎を出る前の「マッチミール」では、みんなであんこのおはぎも食べたそうだ。

「松島さんはいくつ食べたの?」と聞けば、26歳ははにかんだ。

「ふたつ。パワーになりました」

 松島はジンバブエ出身の父と日本人の母の1人息子として、1993年に南アフリカで生まれた。桐蔭学園高校を卒業後、高いレベルを求めて南アに渡り、スーパーラグビーのシャークスの育成クラブで「武者修行」した。チャレンジングな人生を歩んでいる。

 ダイバシティ―(多様性)の時代なのだろう。この夜の日本は先発メンバー15人のうち、過半数の8人が外国出身選手だった。ラグビーに国籍条項はなく、「3年以上継続して居住」などの条件を満たせば、代表選手になれるのだった。日本国籍を取得しているニュージーランド出身のリーチ マイケル主将は、「外国出身選手は絶対、必要」と強調し、こう続けた。

「ダイバシティ―、グローバル化が進む日本の社会の象徴になりたい」

 この日、相手のボールを強引に奪い、約60mを走り切ってトライした愛称「ラピース」こと、FL(フランカー)のピーター・ラブスカフニは南ア出身である。敬虔なクリスチャン。好きな日本語が「ダイジョウブ」。プレーも性格も真面目な30歳は声を弾ませた。

「チャンスだった。ボールを奪ったら、遠くにゴールラインが見えた。走った。ラインを越えた時、とてもハッピーだった」

 ラピースはむしろ、ディフェンスで奮闘してくれた。ゲームの主導権を握り続けたのは、結束したタックルがあったからだろう。再三のゴール前ピンチのディフェンスは、チームの成長を印象づけた。一番の勝因はここか。日本は151本中、132本のタックルを決めた。相手の72%に対し、日本は87%のタックル成功率を残した。

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