南ア戦で松島幸太朗が意地のトライ。
ディフェンスは課題が露わになる

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 齋藤龍太郎●写真 photo by Saito Ryutaro

 プライドのトライである。6日の強豪・南アフリカとのラグビーワールドカップ(RWC)壮行試合。7-41の完敗にも、ラグビー日本代表のウイング(WTB)松島幸太朗が一矢を報いた。沸騰の埼玉・熊谷ラグビー場。切れのある走りで、約2万3千の観客で埋まったスタンドを沸かせた。

南アフリカからトライを挙げ、一矢報いた松島幸太朗南アフリカからトライを挙げ、一矢報いた松島幸太朗

「ファンの皆様に勝利を届けられなかったのは残念です」と、松島は言った。「でも...」と言葉にプライドものぞかせた。「トライできたのは、ウイングとしての仕事ができているということ。そこはうれしく思います」

 じつは、狙い通りのトライだった。後半20分。相手のスタンドオフ(SO)が交代した直後だった。パスプレーが乱れる。松島はそう思った。ラインアウトからの南アの攻撃。ラックをつくり、バックスに回した。日本のラインがここぞとばかりにプレッシャーをかける。

 センター(CTB)中村亮土が相手SOに鋭いタックルを見舞わせた。攻守が逆転する。相手がファンブルしたボールを、CTBラファエレ・ティモシーが右手でタップパスし、WTBアタアタ・モエアキオラがつなぐ。松島がボールを右手に抱え、ライン際を約50m走り切った。豪快ダイブ。

 松島の述懐。

「ディフェンスで、しっかり前に出るのを意識したんです。相手10番が代わったばっかりだったので...。そこのコネクションをうまく狙えて、(トライに)つなげることができました」

 その後の素振りも、いかにも松島らしかった。とくに派手なガッツポーズもなく、いつものクールな表情ですぐにボールをSO田村優に渡し、自陣に戻っていった。次のプレーの準備をするために。

「点差が開いていたし、早く次のプレーにいこうという意識でした」

 松島にとって、南アフリカは思い入れのある国だった。ジンバブエ人の父と日本人の母の一人息子として、1993年、南アのプレトリアで生まれた。桐蔭学園高校卒業後、高いレベルを求めて同国に渡り、スーパーラグビーのシャークスの育成組織で「武者修行」した。この日の南アには、一緒にプレーしたことのある選手も含まれていた。

 馴染みのあるチームとの対戦を楽しみましたか?と聞かれると、26歳は少しはにかんだ。

「点差が開き過ぎたので、あまり楽しんでいる余裕はなかったんですけど、序盤の方はワクワクした気持ちでやっていました」

 確かに、南アは日本に楽しむ余裕を与えてくれなかった。随分、研究していたのだろう。日本の生命線のブレイクダウンを狙い、パントキックで日本のディフェンスの弱点を突いてきた。両ウイングの身長に高さがない。

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