代表100キャップ、2019年W杯へ。不屈の男・大野均は終わらない (2ページ目)

  • 向風見也●文 text y Mukai Fumiya
  • photo by Nagao Aki/AFLO

 福島県郡山市の農家で生まれ育ち、ラグビーに出会ったのは地元にキャンパスを構える日本大学工学部のときだ。他のトッププレーヤーとは違ったスタートラインに立ちながら、8年後の2004年に初めて日本代表となった。

 伊藤剛臣や元木由記雄ら当時の常連組は、まるで日本代表が所属チームであるかのような立ち居振る舞いをしていた。まさか自分が、このふたりよりも長く代表でプレーするなんて、このときは想像できなかっただろう。

 この年の秋に行なわれたヨーロッパ遠征で、スコットランド代表に8-100と完敗。大事な試合の前に髭を剃るという"ゲン担ぎ"は、このときを境にやめた。以後、2度の指揮官交代を経て迎えた2007年のW杯フランス大会では、カナダ代表に引き分けるも、1勝も挙げることはできなかった。

 すっかり代表に定着した大野だったが、2008年から控えに甘んじることが多くなった。W杯フランス大会から指揮を執っているジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)からは「去年あった存在感が、今は見えない」と言われ、具体的にどういうことか尋ねると「自分で考えてくれ」と一蹴された。

 思い通りにならない状況でも、どうにか前向きに考えるようにしていた。

「ちょっとの差で、代表の試合に出られないのだ、と。気持ちだけは切らさないようにと思っていました。『大野が出てもいいんじゃないか』と周りに思ってもらえるように......余計に気が抜けなくなりました」

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