エディー・ジャパン全57試合取材の記者が語る「英国での40日」 (4ページ目)

  • 斉藤健仁●文・写真 text & photo by Saito Kenji

 19日、いよいよ南アフリカ戦の日を迎えた。日本代表にとって南アフリカとの対戦は史上初。正直、日本が負けると予想している人が多かったが、個人的には4トライ以上か、7点差以内の敗戦で勝点を取ってほしいと願っていた。

 前半、FLマイケル・ブロードハーストらがターンオーバーを繰り返し、CTBに入った立川がゲインを繰り返す。「十分に戦えている」と思った。後半になるとキールアーチで建設された3万人のスタジアムは、「ジャパン」コールで鳴り響く。結果は、日本が34-32で大逆転勝利。日本代表にとっては24年ぶりのW杯での勝利だった。取材をしていて初めて涙を流した。記者仲間も関係者も泣いている。歴史が動いた瞬間だった。選手ほどではないが、メールやSNSで「おめでとう」の連絡が何通も来る。ただ、仕事があったために、すぐに現実に戻されたことは言うまでもない。

 翌日の現地の新聞は日本の報道一色。それだけインパクトが大きかった証だろう。この後、10日間くらいは、現地の人々に日本人だと気づかれると「よくやった」「50点~60点差つくと思っていたけど、勝つなんて!」などと声をかけられ続けた。20日からメディアの数は倍増。特に海外メディアが増えていた。フランス人記者には「スクラムコーチの電話番号と教えろ」とまで言われた。この日の夜は、日本人が経営するラーメン屋で、選手数人に出くわした。渡英して3週間、美味しそうに、おそらく豚骨ラーメン!をすすっていた。束の間のオフだったと思う。
(つづく)

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