桃田賢斗が日本代表活動から引退 無敵の世界王者時代、悪夢の交通事故...激動の10年を経て最後の国際大会に挑む (4ページ目)

  • 平野貴也●取材・文 text by Hirano Takaya

【悪夢のような交通事故から急失速も、失われない桃田への関心】

 金メダル間違いなし――さらに、バドミントンの象徴として存在感を増すだろうと思われていたが、成功の物語は、唐突に終わりを告げた。

 2020年1月、マレーシアの国際大会で優勝した翌日、帰国のために空港へ向かう車が事故に遭った。運転手は、死亡。桃田は、全身を打撲。顎部、眉間部、唇に裂傷を負った。

 帰国後の入院期間も短く、一度は3月には復帰できると報じられたが、練習再開後、物が二重に見える症状が表れた。再診断を受けると、眼窩底(がんかてい)骨折が判明。手術を受けた。

 直接的な因果関係はわからないが、以降の桃田は苦しんだ。2021年に開催された東京五輪は、まさかの予選ラウンド敗退。その後も国際大会で初戦敗退が続くなど、成績は急失速した。パリ五輪レースも思うような成績を出せず、2大会連続の五輪出場はならなかった。

 それでも、世界が桃田から関心を失うことはなかった。

 パリ五輪レースの最終戦となったアジア選手権に桃田の姿はなかったが、現地に来ていた海外のカメラマンは「桃田はトマス杯に出るよな? 撮影できる最後のチャンスかもしれないな」と気にしていた。

 桃田は代表引退会見で、最後の国際大会となるトマス杯に向けて「最近は、自分の結果と応援が合わないぐらい、会場に行くとたくさんの人に応援していただけて、本当に嬉しい限り。自分の集大成なので、どん欲に、コートの中を動き回りたい」とファンに感謝を示すとともに、意欲を語った。

 国内で選手生活は続けるが、国際大会は最後。世界中の注目を浴びて、「世界の桃田」は最後の国際大会に挑む。

プロフィール

  • 平野貴也

    平野貴也 (ひらの・たかや)

    1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカー、バドミントン、カバディ等、スポーツ全般を取材している。

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