近江佑璃夏、フルタイムで働く日本女子フラッグフットボールの第一人者 競技の魅力は「戦略があれば男子チームにも勝てる」 (2ページ目)

  • 永塚和志●text by Kaz Nagatsuka
  • 村上庄吾●photo by Murakami Shogo

【自由なフットボール一家でフラッグに親しむ】

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――ご家族が皆アメフト、フラッグをプレーされていたとのことで、いわゆるフットボール一家ご出身ですけど、近江さんご自身のスポーツ歴はどういったものでしょうか?

「私が小学校の頃は結構いろいろ習いごともさせてもらって、水泳、器械体操、ダンス、トランポリンとかいろいろやっていたんですけど、中高で部活はバスケットボール部に6年間いました。

 大学は応援団チアリーディング部に2年間入って、カナダのバンクーバーの大学に留学してその間はサークルみたいなところに入りました。そして帰ってきてからはずっと、フラッグフットボールです」

――フラッグフットボールとの出会いはいつだったのでしょうか?

「両親がプレーしていて、私が3、4歳ぐらいになると週末は両親が土日に練習に行くので、一緒についていってサイドライン側で他の子供たちと遊ぶっていうような感じでした」

――お父さまは元々、アメフトの実業団の選手だったんですよね。

「阪急ブルーインズというチームでプレーをしていて、ポジションはディフェンシブバックでした」

――お父さまとお母さまが昨年フラッグフットボールをプレーされているのを動画で拝見しました。

「エキスポフラッシュフィールド(大阪府吹田市)で行なわれたハドルボウルですね。両親ともまだ大阪ハドルズというチームでやっています」

――近江選手がフラッグフットボールを本格的に始めたのはいつだったのですか?

「本格的に活動をし始めたのは大学3年生の時からです。試合に初めて出たのは小学校6年生の時で母と一緒に全国大会に出て、優勝しました。それ以降も、ところどころでフラッグが私の人生にあるなと感じていて、中学の時には週6でバスケをしていたのですが、休みの時や週末オフの日などには母と父のフラッグの練習に行ったりしていました。

 中高一貫校に通っていて受験がなかったので、中学3年生の時には夏でバスケを引退した後、バスケ部とバドミントン部の子たちに声をかけてフラッグの大会に出て、日本一にもなりました。高校でもちょくちょく試合には出ていましたし、フラッグはところどころでやっていました」

――お父さんやお兄さんがアメリカンフットボールの選手で、近江さんご自身もやってみたいという気持ちはなかったのですか?

「なかったですね。そもそも私がバスケットボール部を選んだのは日焼けをしたくないっていう理由で、アメフトをやると首が太くなってしまうという結構、女子の部分があって(笑)」

――家族からは「アメフトをやってほしい」というプレッシャーはなかったのですか?

「自由にさせてくれましたが、父からは『(フラッグフットボールの)代表、受けてみたら』とは言われました。それで受けたという流れがあったので、それがなかったら代表に手を上げていなかったかなと思います」

――お兄さんもレシーバーとして日本のトップクラスでプレーしていますが、フラッグフットボールでの助言を求めることはありますか?

「たまに私が自分のプレー動画を送ってフィードバックをもらったりはします。ワイドレシーバーのスキルのことだと教えてもらえるんですけど、フラッグのスキルとなると兄はほとんどやっていないので、そこは『フラッグの男子代表の選手に聞きな』って言われます(笑)。

 年末に実家に帰った時などは一緒に公園へ練習をしにいったり、エキスポフィールドでも1回練習をして、ワイドレシーバーのルートを教えてもらったりはしました」

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