平野早矢香が振り返る卓球界初のメダル。試合前日の夜に「無理です」と答えたまさかの変更【2021年人気記事】

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi

 コロナ禍においてでも、東京五輪・パラリンピックなどで盛り上がった2021年のスポーツ界。そのなかでも、スポルティーバはさまざまな記事を掲載。今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年8月1日配信)。

※記事は配信日時当時の内容になります。

日本女子卓球初の五輪メダリスト
平野早矢香インタビュー 前編

 シングルスで全日本選手権3連覇を含む5度の日本一に輝くなど、長きにわたって日本女子卓球界のトップでプレーした平野早矢香。2012年ロンドン五輪の女子団体では、卓球競技として男女通じて初となる銀メダルを獲得。引退後は競技の普及活動を行ないながら、スポーツキャスターやニュース番組のコメンテーターとしても活躍している。

 昨今、日本の卓球勢は「五輪のメダル候補」と言われるようになったが、1980年代から2000年代にかけては不遇の時代が続いていた。その中で、福原愛、石川佳純とともにメダル獲得の偉業を成し遂げた背景には、どんな苦労やエピソードがあったのだろうか。

インタビュー前編では、過去を振り返ってもらいながら、ロンドン五輪で表彰台に上がるまでの道のりを聞いた。

ロンドン五輪で銀メダルを獲得した(左から)福原愛、平野早矢香、石川佳純 photo by Kyodo Newsロンドン五輪で銀メダルを獲得した(左から)福原愛、平野早矢香、石川佳純 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る***

――平野さんは2008年北京大会で五輪初出場を果たしました。まずはその時のことを振り返っていただけますか?

「その時の私は23歳で、五輪がどんなところか全然わからなかったんですが、まず驚いたのは取材の多さです。当時の卓球は、日本の中ではまだマイナー競技という感じで、みなさんからすると『福原愛ちゃんがやっている卓球』という感覚だったと思います。競技としても、私個人としても、あまりメディアに取り上げられることはありませんでした。

 でも、五輪の代表になり、選手団のユニフォームやスーツを配布されると、今まででは考えられないほどたくさん取材をしていただいて。"日本代表"というのを強く意識するようになりましたね。もちろん日の丸の重みはどの大会でも変わらないんですが、自然とそれを感じたのが五輪でした」

――どういったお気持ちで試合に臨みましたか?

「初めての舞台で戸惑うこともありましたが、すごくチャンスだと思っていました。前述の通り、当時の卓球はまだマイナー競技。いくら世界選手権など他の大会で活躍しても、私たちのことはあまり知られていない。競技によっては、日本に世界王者の選手がいても、知ってもらう、見てもらう環境がない。五輪で活躍してメダルを獲ることは、競技をメジャーにしていく大きなチャンスになります。もちろん選手個人としてもそう。私自身はシングルスで3回戦敗退、団体戦では3位決定戦で韓国に敗れてメダルを逃しましたが、いわゆる『アマチュア』と言われている選手のほうが、五輪に懸ける思いは強いかもしれないですね」

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