張本智和は7歳で「3.11」を経験。「生きていられるのは当たり前じゃない」 (2ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • photo by Kyodo News

 そういった地震による被害や被災生活を経験し、張本の卓球に対する考え方は大きく変化した。

「今、生きていられるのは当たり前じゃない、と感じましたし、だからこそ学校生活や卓球にも全力で向き合わないといけない。そう思ったんです」

 震災翌年の2012年ロンドン五輪では、同じ仙台出身の福原愛が、女子団体で日本卓球初となる銀メダルを獲得。福原は大会後には被災地を回り、東宮城野小も訪問した。そこでメダルに触れ、一緒に練習もしたという張本は、「自分も仙台の代表として、立派な日本代表選手になりたい」という思いを抱いた。

 さらに、その翌年の2013年にプロ野球で初の日本一となった地元球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの活躍も、張本の仙台出身アスリートとしての意識をさらに強めた。

 2017年と2019年には、クリムゾンレッドのユニフォームに袖を通して始球式を務めるなど、大の楽天ファンとして知られている張本。日本一の瞬間はテレビで観戦していたそうで、「優勝してくれて本当に嬉しかった」と喜びを語りながらも、「宮城全体がすごく盛り上がっていて、影響力の大きさを感じました。僕も仙台出身として地元に元気を与えられたら」と気持ちを新たにした。

 その絶好の機会が、2019年に訪れた。同年3月と12月に、卓球ジャパントップ12が地元・仙台で開催。張本はいずれも優勝し、故郷に歓喜と力を届けた。

「ジャパントップ12は日本トップの選手が集まるレベルの高い大会。でも、仙台の方々が観に来てくださっている以上、『絶対に負けられない』という気持ちが、どの大会よりも人一倍強かった。実際に、優勝できたことを仙台の皆さんがすごく喜んでくれて。卓球のやりがいも感じましたし、故郷に少しでも恩返しできたことはとても嬉しかったです」

 震災当時はわずか7歳だった卓球少年が、この10年間で、仙台が誇る日本の絶対的エースへと成長した。その根底にあるのは、「3.11」で経験した記憶と、被災地への思いを絶やさなかったからに他ならない。

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