中国キラー・伊藤美誠をつくった「バケモノのような選手」にする訓練 (3ページ目)

  • 城島充●文 text by Jojima Mitsuru
  • photo by Reuters/AFLO



"バケモノ"に育つための土台と、楽しむ感覚から生まれるオリジナリティ

 その伊藤のプレースタイルの土台が、母・美乃りさんによる幼少期の厳しいトレーニングで築かれたことはよく知られている。

 静岡県磐田市に構えた新居のリビングに卓球台を置き、母と幼稚園の年長組に通い始めたばかりの娘と、一日のうち最低でも4時間、休日は7時間以上もネット越しに向き合った。時間だけではない。練習ではなく「訓練」と名付けたメニューには、卓球の教則本には載っていない、母が独自に考えたメニューが散りばめられていた。

 足の動きを止め、上半身だけでボールに反応したり、ボールを見ないでラケットに当てたりといった練習のほか、身体のバランス感覚を養うために左手でもラケットを振らせた。声を出してラケットを振った翌日は、口を閉ざしたままボールを追った。「打ち方が自己流で、ボールが予測できない回転をする」という理由で、公民館で汗を流す中高年の初心者を練習相手に選んだこともある。

「幼い頃は型にはめず、卓球をする体の感覚をしっかりと身につけさせることを考えました。私は美誠を相手の選手が次のプレーを予測できない、"バケモノ"のような選手に育てたかったんです。そのためには、子どもの頃から誰よりも長い時間ラケットを振らせ、他の誰もやらない練習をさせるしかないと思っていました」

 そんな美乃りさんの言葉が、取材ノートに刻まれている。

 特筆すべきことのひとつは、地元の小学校を卒業した伊藤が拠点を大阪の卓球私塾「関西アカデミー」に移すと、その練習風景がガラっと変わったことである。

"バケモノ"に成長するための土台をしっかりと固めた手ごたえがあったのか、美乃りさんは直接的な指導から距離を置き、静岡時代から伊藤のプレーを見ていた松崎太祐氏を専属コーチにつけた。

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