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河村勇輝の言葉で振り返るNBA・Gリーグ挑戦1年目の成長と確かな手応え (2ページ目)

  • 杉浦大介●取材・文 text by Sugiura Daisuke

【取材を通して感じた河村の責任感と自覚】

 個人的に今季の河村を見ていて感じたのは、自分自身を日本、アジア、そして小柄な選手の代表ととらえる責任感、自覚だった。「日本、アジアのバスケに貢献したい」「小さい選手でもNBAでプレーできると示したい」といった言葉を、今季の取材を通じて、何度も聞いた。同時に、これまでのキャリアで培った自信、自身を客観的に見る聡明さも持ち合わせており、メンタル面で非常に好バランスという印象を受けた。

 日本語だけでなく、発展途上での英語でのコミュニケーションも抜群にうまかったことも忘れてならない。Gリーグではマオ・ペレイラ、NBAでもグリズリーズのエース、ジャ・モラントとは非常に親しい関係になった。こうしてチーム内外で人気者になったのは、背後の努力ゆえであることは河村本人のこんな言葉からも伝わってくる。

「英語をもっと話せないと、より深いコミュニケーションを取れるようにならないとPGとしてやっていけない、というふうに思っていました。英語のコミュニケーションのための時間の割き方もしっかりと考えて、これまで生活してきました」

 アメリカを拠点にするプロバスケットボール選手としてできることはすべてやり、駆け抜けていった1年間。NBAとGリーグを行き来し、研鑽を積む日々がハードだったことは、4月27日に日本メディアを相手に行なわれた今季最後の会見での河村の言葉が物語っている。

「アメリカに来てからは本当に1日1日、無駄にすることなくというか、このNBAという厳しい世界で、カットされるかもわからない状況のなかで、後悔だけはしたくないって気持ちは常に持っていました。

 その気持ちを常に持ち続けて今シーズンやってきたのもあってなのか、この1シーズン、本当に早く感じました。アメリカに来たのがつい数日前のような感覚。それくらい充実した毎日を送ってきたんだなっていうのは昨日、シーズンが終わってからあらためて感じました」

 Bリーグ出身の選手として初のNBAプレーヤーになるとともに、さまざまなことを吸収していったシーズンだった。波乱の1年のなかで、優れたバスケットボール選手であるとともに、河村が示したのは、知性とコミュニケーション能力に裏打ちされた"人間力"の高さ。何より、それがあったがゆえに、今季を通じてアメリカで多くを積み上げることができたのだろう。

つづく

著者プロフィール

  • 杉浦大介

    杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)

    すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

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