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NBA伝説の名選手:アレン・アイバーソン 「史上最も小柄なMVP」は「The Answer」であり続けた (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【キャリアのハイライトとなった2000-01シーズン】

2001年のファイナル進出を決定した瞬間のアイバーソン。比類なき闘争心でチームを引っ張った photo by Getty Images2001年のファイナル進出を決定した瞬間のアイバーソン。比類なき闘争心でチームを引っ張った photo by Getty Images

 キャリア1年目。アイバーソンは先発ポイントガード(PG)に入り、積極果敢に点を取りにいった。シーズン終盤の1997年4月には5試合連続40得点以上、そのうち1試合では50得点もマークし、平均23.5得点、7.5アシスト、2.1スティールを残して新人王を受賞する。

 そして1997年3月12日のシカゴ・ブルズ戦。前年王者で憧れのマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)を相手に、アイバーソンはトップ・オブ・ザ・キーからクロスオーバードリブルで揺さぶり、プルアップジャンパーを見事に沈めた。

「23番(ジョーダン)のことは誰もが知っている。そして今夜、3番が誰なのか知ることになる。この瞬間も、ずっと記憶に残ることになるだろう。そこには俺がいる」

 強烈な印象を残したプレーから数年後にそう話したとおり、アイバーソンはNBAでも最高級のスーパースターに成長していく。2年目の1997-98シーズンから厳格な教師タイプのラリー・ブラウンHCが就任すると、紆余曲折を経てシューティングガード(SG)へコンバートされ、その得点力を遺憾なく発揮する。

 1998-99シーズンにプレーオフ出場を飾ると、2000-01シーズンには開幕10連勝と快走。シーズン途中にはショットブロッカーで"大学の先輩"ディケンベ・ムトンボ(元アトランタ・ホークスほか)をトレードで獲得し、イースタン・カンファレンス1位の56勝26敗(勝率68.3%)をマークし、公称183㎝・75㎏のアイバーソンが史上最も低い身長でMVPに選ばれた。

 プレーオフでは苦戦を強いられるも、アイバーソンはトロント・ラプターズとのカンファレンス準決勝で2度の50得点超え、ミルウォーキー・バックスとのカンファレンス決勝では最後の2戦で40得点以上を叩き出し、いずれも4勝3敗で突破。チームを1983年以来初のファイナル進出に導いた。

 頂上決戦に立ちはだかったのはロサンゼルス・レイカーズ。シャキール・オニール、コービー・ブライアントの最強デュオを擁し、11戦無敗(当時の1回戦は3戦先勝)でファイナルまで勝ち上がってきた前年王者の前に、シクサーズは1勝4敗で散った。アイバーソンにとっては悔しい結末になったが、延長にもつれた初戦では圧巻の48得点を奪い、レイカーズの連勝を止め、シリーズ平均35.6得点を残して最後まで戦い抜いた。

 しかし翌2001-02シーズン以降、アイバーソン率いるシクサーズがファイナルへ舞い戻ることはなかった。2006年12月にデンバー・ナゲッツへトレードされて心機一転を図るも王座獲得には遠く、その後もデトロイト・ピストンズ、メンフィス・グリズリーズを経てシクサーズへ帰還し、トルコでもプレーして2013年10月30日に現役引退を表明した。

「自分を誇らしく思うし、今はハッピーだ。生きていくことさえ難しい人生だったが、それを他の何かとトレードしようとは思わない。後悔なんて微塵もない」とキャリアを総括した。

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