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NBA伝説の名選手:アイザイア・トーマス「あくなき"バッドボーイ"の闘争心で"3人のレジェンド"をプレーオフで倒した唯一の勝者」 (2ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【積年の悔しさからNBA2連覇へ】

1989年、初めてNBAの頂点に立ったトーマスとピストンズ photo by Getty Images1989年、初めてNBAの頂点に立ったトーマスとピストンズ photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る 1984年プレーオフ1回戦・対ニューヨーク・ニックスとの第5戦、トーマスは、第4クォーターに94秒間で16点を奪って試合を延長に持ち込むパフォーマンスを見せるも敗戦。1987年の東カンファレンス決勝、セルティックスとの第5戦では、ピストンズが1点リードで迎えた残り1秒に自身のインバウンドバスをラリー・バードにスティールされ、デニス・ジョンソンに決勝点となるレイアップを決められ敗戦。それが痛手となり(シリーズ3勝4敗)、初のNBAファイナル進出を阻まれた。

「セルティックスが48分間(高い集中力で)プレーし続けなければならないことを教えてくれた」と言うトーマスは翌年、1980年代のイースタン・カンファレンスを支配していたバードとセルティックスを倒し、高校時代からの親友であるマジック・ジョンソンがいるロサンゼルス・レイカーズとのNBAファイナルに挑んだ。

 3勝2敗で王手をかけて迎えた第6戦、トーマスは第3クォーターで左足首を捻挫。激痛に耐えながらもプレーし続けると、第3クォーターだけで25点を奪うなど43点と大爆発したが、土壇場で逆転されて1点差の敗戦。第7戦も3点差で惜敗し、トーマスはまたも悔しい思いをしたのである。

 しかし1988−89シーズン、ついに積み重なった悔しさを晴らすことになる。

 乱闘を恐れないフィジカルなディフェンスを武器に、『バッドボーイズ』と呼ばれたピストンズは、公式戦を63勝19敗のNBA最高成績でプレーオフに進出。カンファレンス決勝ではシカゴ・ブルズに1勝2敗からの3連勝でNBAファイナルに進むと、前年に悔しい思いをしたレイカーズ相手に4連勝。ファイナルMVPに選ばれたジョー・デュマースとのガードコンビを軸にしたチームで初のチャンピオンシップ獲得が決定的になると、タイムアウトでベンチに座ったトーマスは白いタオルで顔に被せて涙を流した。1980年代のNBAを支配した2強を倒して手にしたチャンピオンシップについて、トーマスは次のように語っている。

「セルティックス、そしてレイカーズといった強敵を相手に優勝を勝ち取ったことで、これまで努力してきたことがすべて証明された。それは、ひとりの選手や一試合だけの成果ではなく、チーム全体が団結し、自分たちがトップにふさわしいチームであることを証明したんだ」

 次のシーズンも成長著しいブルズをカンファレンス決勝で4勝3敗と何とか退けたピストンズは、NBAファイナルでポートランド・トレイルブレイザーズを4勝1敗で倒して2連覇を達成。平均27.6点、7アシストでチームを牽引したトーマスは、文句なしのファイナルMVPに輝いた。

 3連覇を目指した1990−91シーズン、トーマスは手首の故障で長期の戦線離脱を強いられた。ピストンズはカンファレンス決勝まで勝ち上がったが、マイケル・ジョーダンとブルズを止める答えがなく、4連敗を喫してシーズン終了。トーマスはブルズの選手と握手せず、ゲームが終わる前にロッカーに下がった行為は全米中から批判された。1988年のプレーオフ、バードとセルティックスがピストンズに対してやったことと同じ行為という認識をトーマスは持っていたが、『バッドボーイズ』の悪いイメージによって火に油を注いだのである。

 ブルズに3連覇を阻まれたことで、ピストンズの時代は終わりを告げた。そして1994年4月19日の試合でアキレス腱を断裂したことで、トーマスは13年間のNBAキャリアに終止符を打つことになる。

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