NBA伝説の名選手:マヌ・ジノビリ「抜群のテクニックとセンス、リーダーシップを兼ね備えNBA国際化に大きく寄与したアルゼンチンの英雄」 (3ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【ユーロステップの顔としての存在】

 ジノビリは2017-18シーズンまでスパーズひと筋16シーズンをプレー。計4度の優勝を飾ったほか、2007-08シーズンには最優秀シックスマン賞を受賞し、オールスターとオールNBAチームにはそれぞれ2度選ばれ、40歳までNBAのコートへ立ち続けた。

 198cm・93kgの筋肉質な肉体を誇った男は矢のように鋭いパス、相手の意表を突くビハインド・ザ・バックパス(自身の背後から繰り出すパス)やオーバーヘッドパスを決め、自由自在にボールを操るドライブから相手ディフェンダーを惑わす芸術的なボールフェイクなども繰り出した。見事なスピンがかかった巧みなレイアップやジャンパーを放り込み、豪快なダンクで会場を沸かせ、憎たらしいほどの勝負強さも備わっていた。

 とはいえ、ジノビリのシグネチャームーブと言えば、やはりユーロステップだろう。ドライブから1歩目で相手に近づき、瞬時に繰り出す2歩目で出し抜いてレイアップまで持ち込む鮮やかさは強烈なインパクトを与えた。側から見ると、ペイントエリアに密集する相手ディフェンス陣を潜り抜けるため、ジグザグにステップを踏んでいるように見える。

 2002年にその動きを初めて目の当たりにしたポポビッチHCが、「あれがいったい何なのかわからなかった。正しいプレーには見えなかったね」と語ったように、NBAでも"異色"と呼べるものだった。

 ジョーダンに憧れ、兄たちと切磋琢磨して育ち、アルゼンチンやイタリアで腕を磨いた男は、"ジノビリ・ステップ"とも評されたプレーを「詳しく説明することなんてできないね。あれは不可思議かつ本能的なものなんだ」と語る。

 一般的に、NBAにユーロステップを持ち込んだのは1989年にデビューして7シーズンをプレーしたリトアニア出身のシャルーナス・マーシャローニス(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)と言われているが、両選手を知るブレント・バリー(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)が語った言葉が、ジノビリが世の中に与えた影響力を最も端的に表している。

「僕はシャルーナスともたくさん対戦したけど、もっとコンパクトにやっていたよ。彼には(ジノビリのような大きな)歩幅はなかったんだ。(ユーロステップに)ダンサーのような美しさやテンポを変えるほどの優雅さを持ち込んだのは、マヌ・ジノビリなのさ」

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