パリ五輪女子バスケ日本代表・宮崎早織が東京五輪の悔しさを糧につかんだ正PGの座 速さの武器を活かし世界を「かき回す」 (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka
  • 加藤誠夫●写真 photo by Kato Yoshio

【心強い先輩たちのバックアップを受けて】

試合前の1コマ。宮崎(右)にとって、吉田(左)が背後にいる心強さは計り知れない試合前の1コマ。宮崎(右)にとって、吉田(左)が背後にいる心強さは計り知れないこの記事に関連する写真を見る もっとも、宮崎自身に「正PG」という意識は薄い様子だ。野球で言えば、本来は絶対的なスラッガーが据わる「4番」を打ちながら、「あくまで4番目に打つ"つなぎの"4番」だと自身を謙遜するかのように、宮崎は「最初に出るPG」といったところだろうか。

 PGに求められる、パスのうまさや試合の状況を見ながらコントロールするという点では、年長の町田や吉田亜沙美に分があるものの、宮崎には宮崎にしか出せないよさがある。オフェンスでは、恩塚HCが「世界一」と評する速さを生かして、コートの中央を切り裂きレイアップに持っていく。ディフェンスではせわしなく手足を動かしながら相手PGに密着マークを仕掛け、プレッシャーをかける。サイズの不利を埋めるべく恩塚HCの指揮する世界的に特異なスタイルに、欠かせない存在だ。

 2020年12月、皇后杯(全日本バスケットボール選手権大会)決勝ラウンド。ENEOSは準決勝でエース・渡嘉敷来夢がヒザの靭帯を損傷する大ケガを負いながら勝ち続け、頂点に立った。宮崎は準決勝で25得点、10リバウンド、11アシストのトリプルダブルを記録。決勝戦でも40分間フルで出続けた。

 いずれの試合でも、悲壮感を漂わせながらの鬼神のプレーぶりだったが、この時は単にリングへアタックするだけでなく、相手にマークされていてもスピードの緩急を使いながら急に方向転換をするなど、宮崎の才能が最大限に発揮され、強く印象に残る。彼女にはやはり、力がある。

 吉田らベテランが後ろに控えてくれていることも、宮崎には心強く、だからこそ思いきった彼女らしいプレーができる。

 パリ五輪直後に29歳になる宮崎は、こう語る。

「(ベンチに)帰ってきた時に瑠唯さんが『最後のあそこのプレー、ユラ(宮崎のコートネーム)だったらどうしてた?』とかコミュニケーションが取れていますし、何かわからないことがあったらすぐリュウさん(吉田)に聞きに行ったりします。(本橋)菜子さん(東京羽田ヴィッキーズ)も結構、アドバイスをくれるので、本当に心強いですし、迷った時はすぐ先輩たちに聞いて、っていう感じでやっています」

 とりわけ、ENEOS(当時はJX-ENEOS)でも同僚だった吉田がいることは、宮崎にとって大きい。同チームでエースガードだった吉田は、宮崎にとって追いかけても、追いかけても手の届かないような特別で、絶対的な存在だった。吉田が引退により離れてほどなく、宮崎は先発司令塔の座を手にした。

 日本代表では2月の世界最終予選(OQT)より吉田が復帰し、宮崎と久々に同じユニフォームを着ることとなった。先発司令塔として宮崎は、偉大な先輩に支えられるという、思ってもみない形でオリンピックに臨む。

 宮崎からすれば吉田は少し怖い先輩であったかもしれないし、吉田からしても宮崎に対していろいろと注文をつけたことだろう。しかし今、日本代表の先発PGの座を掴み取った宮崎に対して、吉田も多分、以前よりは温かな目で見守る。

「東京五輪の時、彼女はあまり試合に出る機会が少なくて悔しい思いももちろんしたと思うし、それがあったからこそ、今こうやってメインでPGをやっていると思います。彼女がつかみ取ったものですし、そのサポートを全力でやりたいなと思います」(吉田)

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