アフリカ→日本→NBAと歩んだ男が、「レフェリー殴打事件」に思うこと (4ページ目)

  • 杉浦大介●文 text by Sugiura Daisuke
  • photo by Getty Images

――コート上で嫌な思いをしたことは? 

「2年生か、3年生のときだったかは忘れたけど、あるトーナメントのゲームで汚い言葉でののしられ続けたことがある。「This is not your country(ここはおまえの国じゃない)」「Go back to your country(自分の国に帰れ)」といった感じでね。ただ、試合中は反応しなかった。僕が怒って退場にでもなれば、相手チームに勝つチャンスが生まれることはわかっていたから。

 だから、試合が終わるまではずっと黙っていたんだけど、ゲームの後にその言葉を発した選手のところに行って、しばらく言い争いになった。その後に両チームのコーチも交えて話し合って、お互いに謝罪し、そこで終わった。すべての人に好かれるわけではないのはわかっていたし、報復するつもりもなかった。『誰かに悪意を受けても、そのことが僕という人間を変えるわけじゃない』というのが僕のフィロソフィー。何があろうと、人には親切に接し続けるつもりだよ」

――当時、岡山学芸館高校には何人の留学生がいたんですか?

「黒人は僕だけだった。中国の交換留学生などを合わせれば、全部で11人くらいの留学生がいたね」 

――来日後、ホームシックになったことは?

「最初の4カ月はタフだったよ。日本の人たちがどう感じるか、どう行動するかに適応しなければならなかったからね。知人も友人もいなかったから孤独だった。ただ、4カ月を過ぎた頃には大丈夫になった。いずれ親元を離れて自分の足で歩いていかなければいけないわけだから、そこで『自分の夢に向かって生きていこう』と決意した。バスケットボール選手として自らを向上させ、次の段階に進むことを目標に暮らすようになった。そんな考えが、僕が日本で過ごした3年間の原動力になったんだ」

――その頃からンドゥール選手は非常に聡明で、精神的な強さもあったんですね。語学も得意で、日本語弁論大会で優勝したときの動画がYou Tubeに残っているくらいですし。ただ、すべての留学生が同じように強い意思を持って生活できるわけではないと思います。留学中にホームシックで悩んでいる生徒はいましたか?

「僕が2年生のときにセネガルから新しい留学生が来た際には、彼の生活が少しでも快適になるよう、毎日のように話をしにいった。僕にとって"ブラザー"と言える存在になって、今でも僕のブラザーだ。ただ、結局はひどいホームシックになって、学校に3年間通えなかった。環境に適応できずに帰国して、日本には戻ってこなかったよ」 

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