田臥勇太がバスケを語る。「やればやるほど難しく、それが楽しい」 (5ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by Sportiva

 能代工業卒業後、田臥が今日まで過ごした日々は、漫然と過ごした18年ではない。昨日よりも今日、今日よりも明日、バスケットボールがうまくなっていたい......。そんな想いを重ね、能代発、NBA経由、栃木着、そうして辿り着いた今日だ。

 ただ、田臥が今も「日本人唯一のNBAプレーヤー」と紹介されるたびに、胸に小さな痛みを覚える。すでに12年も前の出来事。何よりゲームに出場できたのは、4試合・計17分。田臥にとって、栄光というよりも、無念のほうが強いのではないか。「NBA」という語感は、田臥にとってほろ苦さを伴う記憶ではないのかと思えてならない。

 言葉を選んで、田臥は言った。

「もちろん、『たられば』なら、いろんなことがもちろんあります。ああしていればよかった、こうしていればよかった、と。ただ、僕はその都度、その都度、全力の選択をしてきた。だから、後悔は一切なくて。それどころか、あの日々があったから、今があるんだと思っています」

『たられば』のひとつを挙げるなら、田臥はいまだに思い出すプレーがある。

 2004年11月3日、21時――。NBA2004-2005シーズン開幕戦、フェニックス・サンズvs.アトランタ・ホークス。フェニックスのダウンタウンにあるアメリカン・ウエスト・アリーナ。第4クォーター残り6分16秒の、あのプレーを......。

(後編につづく)


【profile】
田臥勇太(たぶせ・ゆうた)
1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。リンク栃木ブレックス所属。バスケットボールの名門高校・秋田県立能代工業に入学し、3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの3大タイトルを制して史上初の「9冠」を達成。2004年、フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーとなる。2008年よりリンク栃木ブレックスでプレー。ポイントガード。173センチ・75キロ。

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