リオ五輪バスケ最年長。39歳のマヌ・ジノビリに残された大事な役割 (3ページ目)

  • 宮地陽子●取材・文 text by Miyaji Yoko
  • photo by AFLO

 アルゼンチンは長い間、「黄金世代の次が育っていない」と言われてきた。しかし、下の世代が育っても育っていなくても、ベテラン選手たちは世界の舞台から退いていく。残されたジノビリには、今回の大会でアルゼンチン代表として積み重ねてきたことを若手選手たちに伝えるという役割もある。ジノビリは、その役割を「喜んで受け入れた」と言う。

「これまで多くのことを経験してきたからこそ、後に残していきたいんだ」

 オリンピックが終わった後には、15シーズン目となるサンアントニオ・スパーズでのシーズンがやってくる。

 スパーズでは、盟友だったティム・ダンカン(PF)が7月に引退を発表した。

「TD(ダンカン)が何と言うかはわかっていたけれど、でもニュースで読むというのは、また別だ。彼がいなくなり、スパーズでのシーズンは、確実にこれまでと同じではなくなる」

 ダンカンがいなくなり、ジノビリはスパーズでもチーム最年長となる。スパーズのヘッドコーチ、グレッグ・ポポビッチは19年間スパーズを支えた不動の大黒柱・ダンカンが引退した後、ジノビリとは再契約しなくてはいけないと痛感したという。

「ティム(・ダンカン)がいなくなったからこそ、マヌ(・ジノビリ)をキープすることは必須だった」とポポビッチ。長い間、ダンカンを土台として続いてきたスパーズのカルチャーを、さらに次の世代に伝えるためには、ジノビリの存在が必要だったのだ。チームのためにシックススマンの役割を進んで受け入れてきたジノビリでないと、伝えられないことがあると感じたのだ。

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