【男子バスケ】富樫勇樹、NBAと日本代表に挑んだ夏 (2ページ目)

  • 小永吉陽子●文・写真 text &photo by Konagayoshi Yoko

―― 高校卒業後、1シーズン半在籍したbjリーグから離れてNBA挑戦を決意した理由は?

 bjリーグでは本当に成長できたと実感してるんですけれど、もう1シーズンbjリーグでプレイして、昨シーズン以上の達成感を得られるのかと考えたら無理だと思ったのと、もっと自分を成長させたいので海外挑戦を決めました。

―― bjリーグで得た達成感というのはどういうものですか?

 秋田では中村和雄ヘッドコーチに信頼してもらって、自分がポイントガードということで大事なところでは攻めることを任せてもらっていたので、やりがいがありました。正直言うと、高校時代は楽しいという感覚でバスケはやっていなかったんです。高校時代の自分はどちらかというとボールを回す脇役で、好きなプレイはさせてもらえなかった。それが日本に帰ってきて自由に攻めさせてもらったことで自信がついて、もう一度、アメリカに挑戦しようと思えたので、それは良かったかなと思います。

―― ダラス・マーベリックスの一員として、サマーリーグでプレイした手応えは?

 bjリーグのシーズンが終わってすぐにダラス入りしたのが良かったのか、コンディションを落とすことなくプレイできました。出場時間をもらって少し活躍ができて自信になったし、スピードは通用したと思います。だけど、全体的に言えば自分に足りないものが見えた5試合でした。ただ、サマーリーグに出ることが今年の一番の目標だったので、それは達成できました。

―― 最初からダラスでのロスター入りに狙いを定めて渡米をしたのですか?

 ダラスだけに絞っていたわけではないんですけど、エージェントの方が色々と動いてくれて、NBAのダラスやニューオリンズでアシスタントコーチの経験があるチャーリー・パーカーに話をつけてくれました。パーカーコーチは今シーズンからbj群馬のヘッドコーチになるんですけど、ダラスの事情をよく知っているので。

―― 海外でプレイするには、信頼できるエージェントと契約することも重要になりますね。

 初めてのNBA挑戦だったので最初は何もわからなかったんですが、少しでも興味を示してもらえるチームに行きたいということで動いてもらいました。もちろん、「最終的には実力が必要」だとパーカーコーチには言われたんですけど。ダラスに行って2日目にピックアップゲームをした時に、ダラスの関係者にプレイを見てもらって、サマーリーグ前のミニキャンプに呼ばれた形です。

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