JBLとbjリーグの統合はなぜ進まないのか? (3ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko
  • 山本雷太●撮影 photo by Yamamoto Raita

リーグの統合という難題について語ってくれた廣田和生氏リーグの統合という難題について語ってくれた廣田和生氏
■bjリーグの創設と混乱

 8月にはついに新潟とさいたまがJBLから脱退して自分たちでプロリーグを設立すると宣言、しかし、これを受けたJBLは臨時理事会を開き、規定外脱退申請を理由に脱退を認めなかった。その代わり、2006年の世界大会後に、JBLプロリーグ化推進計画を明らかにして、2005年3月までに具体的な指針を示すと発表した。

 一方、すでにそれぞれ親会社である大和証券とアンフィニ東京からの支援を打ち切られて、クラブチームに転換していた新潟とさいたまは、もう待ってはいられないと、新リーグ「bjリーグ」を設立し、2005年11月に開幕を目指すと発表した。

 やるのなら仕方がない、と日本協会は2005年4月13日の理事会で特例としてこの新潟とさいたまの正式脱退を承認。これによりbjリーグは宮城、東京、大阪、大分の4チームを加えて6チームで2005年11月5日に開幕した。

 それでも、JBLは自らのプロ化の動きとして2006年の4月にプロリーグへの参入決定と内定の10チームを発表した。日本バスケットボールリーグに名称決定をして、今度こそいよいよ開幕か、と期待を持たせた。

 しかし、翌年またも頓挫。その原因は企業側の論理と言われている。クラブチームと異なり、福利厚生でやってきた実業団のチームとしては、予算規模においてプロ化に二の足を踏み、選手はプロとアマチュアが混合した状態で現在に至っている。

 バスケットボールの悲願、統合プロリーグについて語ってもらううえで重要な人材を探し出した。社団法人神奈川県バスケットボール協会の理事、廣田和生氏である。廣田は協会の事業・渉外担当としてJBL試合運営の仕事に携わりながら、同時にbjリーグ横浜ビー・コルセアーズの代表でもある。JBLとbjの葛藤を自ら体感してきた立場から、問題点と未来について語ってもらった。

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