【車椅子バスケットボール】藤本怜央が目指すエースのかたち「チームのために泥臭く」

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 越智貴雄●写真 photo by Ochi Takao

予選からエースの自覚を持って臨んだ藤本怜央(写真はカナダ戦)予選からエースの自覚を持って臨んだ藤本怜央(写真はカナダ戦) ロンドン・パラリンピック大会第8日目となる9月5日、車椅子バスケットボール男子順位決定戦が行なわれ、イタリアと対戦した日本は64-60で競り勝ち、第9位となった。2004年アテネで8位、08年北京では7位だった日本は、ロンドンでは「ベスト4」を目標としていた。

「9位という順位は正直、悔しい。でも、最後に勝って終われたことの意味は大きい。日本はここからがスタート。僕は9位という順位をプラスに受け止め、もっと上を目指したい」

 イタリア戦後、そう語ったのは藤本怜央。日本代表に名を連ねて10年。ロンドン大会は名実ともに「エース」という肩書を背負っての、自身3度目のパラリンピックだった。

 藤本は小学3年の春、交通事故が原因で、右足の膝から下を切断した。義足を履き、小学時代は主にサッカー、中・高校時代はバスケットボールに熱中した。だが、高校の終わりに出会った車椅子バスケットに魅せられ、転向。「立ってやるより、スピーディーで面白いバスケットができる」と思ったからだ。

 最初のうちは初めての車椅子操作に戸惑ったが、懸命の努力でものにすると、身長183cmという大柄の体格とバスケットボールの経験とでメキメキと頭角を現す。転向して数カ月後、将来性を買われ日本代表入りして以来、「エース候補」として2004年アテネパラリンピックを皮切りに、世界選手権や08年北京大会などに出場。今大会は日本代表として足掛け10年の経験を積み、「エースの自覚」十分に臨んでいた。

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