アイルトン・セナの素顔。そのあまりに人間的な一面を物語るエピソードの数々 (2ページ目)
「抜かれるよりクラッシュするほうがまし」
マクラーレン・ホンダ時代、テストドライブが終わり、ブランデルは移動するため、チームのフィジオセラピストに空港に送ってもらうことになっていた。まだレースまでには時間があったので問題もなかったはずだ。しかし、セナはフィジオセラピストがサーキットを離れるのを認めなかった。
「俺のために、スタッフ全員がここにいなくてはダメだ」
過剰なまでのライバルへの反応、時に危険をかえりみない走行、契約をめぐるトラブル......これらはすべて勝利のためだった。セナは常々こう言っていた。「勝つことは麻薬みたいなもの。私はそれなしにはいられない。勝つためになら何でもする」と。
彼にとって、2位はすでに失敗と同じ意味だった。だからどこにいても、彼に心の平穏はなかった。
1985年にセナがロータスに乗っていた頃の話だ。セナはモナコGPの予選でポールラップを出した。しかしその後、彼はタイヤを古いものに変えてもう一度ピットに出ることで、他のドライバーのタイムアタックを妨害した。ニキ・ラウダ(マクラーレン)とミケーレ・アルボレート(フェラーリ)はセナのこの行為に対して「スポーツマンシップに欠ける」と怒った。当時のロータスのマネージャー、ピーター・ウォーもこれを認めており、のちにセナに謝罪されたことも明かしている。
「もうあんなことは二度としない」と言いながらも、セナはその理由を「誰かに自分より早いタイムを出されたくなかったんだ」と述べたという。
1989年ポルトガルGP。後ろからナイジェル・マンセル(フェラーリ)に抜かれそうになった時、セナは自分のマシンをマンセルに寄せて双方がクラッシュした。マンセルはすでにその時、失格になっていた(黒旗を無視して走行していた)のだが、セナのこの時の台詞は、彼自身をよく物語っている。
「誰かに抜かれるくらいなら、クラッシュするほうがましだ」
マンセルはセナのことを「自分が知る誰よりもエゴイストだ」と言う。しかし、1992年に自身が初めて世界チャンピオンとなった時、セナの気持ちが少しわかったという。
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