2022.05.01

アイルトン・セナの素顔。そのあまりに人間的な一面を物語るエピソードの数々

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

アイルトン・セナ、人間味あふれる伝説(後編)

 F1界の大物やライバルたちとの確執......時に傲慢ともとれるアイルトン・セナの態度は、契約においても多くのトラブルを起こした。

 デレック・ワーウィックはフレンドリーな性格で人気のドライバーだったが、セナのせいで失業をしたことがある。1986年、彼はロータス入りがほぼ確定していたが、彼がセカンドドライバーになることをセナが拒否した。セナはイギリスのチームであるロータスが、イギリス人のワーウィックを自分より優遇し、人気が出ることを危惧していた。こんなことがあったのに、セナはその後、ワーウィックに素知らぬ顔でハッピーニューイヤーのカードを送ったりしている。

 セナはマクラーレン在籍当時、ウィリアムズと契約をしたがっていた。しかし1993年、天敵アラン・プロストがウィリアムズと契約。その条件が「私がウィリアムズにいる限りセナとは契約しないでくれ」だったと聞き、セナは記者会見で「プロストは臆病者だ。スポーツマンシップに欠ける」と非難した。

日本では「音速の貴公子」呼ばれ、絶大な人気を誇ったアイルトン・セナ photo by Sutton Motorsport Images/AFLO日本では「音速の貴公子」呼ばれ、絶大な人気を誇ったアイルトン・セナ photo by Sutton Motorsport Images/AFLO この記事に関連する写真を見る  セナはチームとの間でもたびたび問題を起こしている。

 1985年、トールマンとの契約中にロータスに移籍し、結局違約金を払ったうえ、1レースの出場停止処分を受けた。

 また1992年には、マクラーレンと契約中にもかかわらず、自らウィリアムズにオファーをしたとして、マクラーレンは契約を打ちきる。だが、ウィリアムズに行くことはできなかった。そのため1993年の1年間、セナはギャランティー以上の金額を使用料として支払って、マクラーレンに乗っていた。

 セナはまた、自分の周囲のすべてを把握しておきたいというどこか脅迫的な一面を持ち合わせていた。ある時、飛行機でセナの隣に座ったテストドライバー時代のマーク・ブランデルは、セナが大量の紙切れを持ち歩いているのを見て驚いた。よく見ると、それは新聞の切り抜きだった。彼にセナはこう説明したという。

「俺について悪く書いた記事をすべてこうやって持っているんだ。どんな奴がどんなことを考えてるのかを知るためにね」

 ブランデルはまたこうも言っている。

「セナは、自分が勝利するためには、誰もが協力すべきだとも考えていた」